北九州市内は、八幡東区田代〜吉川城址〜金山川〜三条〜金毘羅池〜境川のラインで筑前・豊前の国境が引かれていました。(元禄13年《1700年》の箱崎協定にて)
古絵図によると、18基の国境石が建てられ(筑前・豊前・控石含む。内、豊前国国境石の境川筋境石は豊前国のページにあります)、現在13基の国境石が現存しています。
北九州市の国境石はほとんどが移設されています。そして、現存する石は大事にされているようです。また、どちらでも良いことですが、私は「国境石」を「くにざかいいし」と読んでいますが、北九州市では「こっきょうせき」で統一されているようです。
北九州の国境石に関しては、「豊前・筑前 国境石」(北九州市文化財調査委員会編・1969年)を参考にしています。文中「資料」としていますのは全て同書のことです。
北九州市内の国境石については、八幡東区田代から境川(戸畑区中原・小倉北区中井)へ紹介しています。文中、上・下とありますのは、上が田代側・下が中原側です。
八幡東図書館前の欠損境石(豊前)と戸畑区役所内の境川筋境石は豊前のページに移動しました。
欠損境石(筑前)・欠損境石(豊前)および八王子第一の3基は、現在いのちのたび博物館のバックヤードにあり、非公開になっています。
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