飯塚市(頴田)  嘉麻市(山田)


烏尾峠1  烏尾峠2  烏尾峠3  烏尾峠1の先代(4)  烏尾峠5  大谷口  金国山  大法白馬山

黒田新続家譜の記載内容


 2015年5月に「近世以前の土木・産業遺構」のために久しぶりに当地を再訪し、撮影・データの収集をしましたが、烏尾峠3の国境石とにらめっこをしていて、当時は気づけなかった「前」の「リ」が「卜」になっていることに気がつきました。

 そうなりますと、その次に訪れた鹿毛馬公民館の烏尾峠5でも、「前」の文字が気になりますが、同じように「卜」でした。

 帰宅後画像で確認しますと、烏尾峠2はちょうどその部分が欠損して不明ですが、一連の山脈と言える大法白馬山も、同じく「卜」になっています。(間の金国山の境石は文字不鮮明)。そこで、この4基の石の文字面を並べてみます。


烏尾峠2         烏尾峠3         烏尾峠5         大法白馬山

 全体に若干右上がりで、「是」の「人」が突き抜ける(大法白馬山石 上の青○)ところ、「筑」の「凡」の「ヽ」がはみ出す(同じく下の青○)ところなどはそっくりですが、近接である烏尾峠3と烏尾峠5で比べても、「筑」の「凡」の跳ねに向かう角度(赤○部)は明らかに違います。

 特に大法白馬山は、他の石に比べ文字が尖って見えます。(保存状態が良いからそう見えるわけではなさそうです。)

 同じ人が同じ時代に書いた文字であることは間違いないのでしょうが、同じ型から文字を起こしたわけではなく、一基ごとに文字を墨書して、彫ったのかもしれません。
2015/05/19  

烏尾峠 1(飯塚市)
文 字
 従 是 西 筑 前 國    
 
2015/055/16 画像追加

 
場 所
飯塚市(旧頴田町)と田川郡糸田町の境、旧烏尾峠(現烏尾峠の北側)の頂上にあります。
備 考
この峠道を通って「黒田氏親子」は筑前に転封してきたそうです。
元々、元禄13年(1700年)頃建てられたそうですが(先代の石か?)、天保年間(1835年頃)にこの石に建替えられたそうです。先代の石は頴田町鹿毛馬公民館内に残っています。

この石の銘は二川家の記録にはありませんが、相近らしい文字と言えるかもしれません。なぜ「筑」がずれているのかが気になります。

2015/05/16
画像及びサイズのデータを追加。
サイズ゙
高さ 268×横 30×奥行 30(cm)

烏尾峠2
文 字
  是 西 筑 前 領 
 20015/05/15画像追加

 
             表                           裏

  
場 所
烏尾峠1の裏側、山の中にあります。ご覧のように根元から折れていますが、上の部分も残って保存されているようです。
(当時の)頴田町教育委員会にお邪魔して、保存部分を見せていただきました。
備 考
サイズ゙
(教育委員会保存部分)高さ 61×横 18×奥行 18(cm)

烏尾峠3
文 字
  是 西 筑 (※) 領  
 

 
場 所
1の石をはさんで2の石と対象の位置、お地蔵さんの裏山にあります。
備 考
2と3は1の石の傍石的な存在だったのでしょう。

2015/05/16
画像及びサイズのデータを追加しました。
サイズ゙
高さ 67×横 18.5×奥行 17(cm)

烏尾峠1の先代(4)
文 字
  是 西 筑 前 領 (「従」を「從」に訂正します)
 
2015/05/16 画像追加                        4及び5石を裏面から見る


左4            右5

  
場 所
旧烏尾峠にあった石ですが、現在は頴田町(2006/03/26より飯塚市)の鹿毛馬公民館に4と5は並んで置かれています。
備 考
烏尾峠1の先代の石です。元禄13年頃設置されたものだそうですが、筑の竹冠の部分が破損して修復されています。この石は「先代の国境石」の例に漏れず、烏尾峠1の基礎の飾り石に使われていたそうです。

2015/05/16
画像及びサイズのデータを追加しました。「従」としていたものを「從」に訂正します。
久しぶりに訪れましたが、なによりソテツの成長に驚きます。
サイズ゙
高さ 270×横 29×奥行 29(cm)

烏尾峠5
文 字
  是 西 筑 (※) 領  (「従」を「從」に訂正します)
 20015/05/19画像追加

  
場 所
現在は、頴田町(2006/03/26より飯塚市)鹿毛馬公民館内。
備 考
2015/05/16・19
画像及びサイズのデータを追加しました。「従」としていたものを「從」に訂正します。
サイズ゙
高さ 88×横 18×奥行 18(cm)


大谷口(嘉麻市)
文 字
従 是 西 筑 前 


 

  
ヒビ                                    礫混じり
場 所
現在嘉麻市大谷口に建つ石の先代(江戸期)の石です。現在は豊前側田川市の民家で保存されています。
備 考
現在この石があるお宅の先々代があまり大切に扱われていないのを見かねて(その当時には人々にも文化財という意識はなかったでしょうから)、現在大谷口に建つ石(筑前國・豊前國)を建てるという条件で貰い受けて、自宅の庭で保管されていたそうです。

他の筑前の街道筋の象徴的な国境石と違い砂岩ですので、かなり劣化しており(一部剥がれてきています)保護が必要な時期に来ているようです。
サイズ゙
高さ 300×横 31.5×奥行 31.5(cm) 砂岩

大谷口(モニュメント)
文 字
西 筑 前 國
東 豊 前 國
○ ○ 前 國 
 
場 所
国道322号線大谷口のバス停にあります。
備 考
この石は明治期以降に建てられた石(モニュメント)です。

先代の筑前国境石を現在保存してあるお宅の先々代が、国境石があまり大切に扱われてなかったため(その当時は文化財と言う意識はなかったでしょう)、この石を建てる事を条件に先代の石を引き取ったそうです。
サイズ
高さ 190×筑前側 31×豊前側 30(cm)


金国山〜大法山〜白馬山〜擂鉢山
 
 ここは「黒田新続家譜」にある山田(筑前福岡領)・猪膝(豊前小倉領)の国境論争跡になります。田川市(豊前小倉)側から眺めると、烏尾峠から金国山(422m)→白馬山(261m)→大法山(232m)→秋月街道大谷口→擂鉢山(帝王山/214m)と国境に誂えたかのような低山が続きます。

 ここも国境論争があったために国境石(筑前石のみ)が置かれました。現在1基は嘉麻市(旧山田市)の歴史資料室に移設・展示されていますが、他にも数基山中に残っているらしいということは前から聞いていました。今年の夏ごろからぼちぼち地元で聞いて回りましたが、いまいちはっきりとした場所がわかりません。

 今年(2007年)の冬はここに重点的に入ろうと思っていますが、国境論争があったからなのか、国境(現在の市境)が微妙に稜線からずれており苦戦しています。
 

金国山
文 字
從 是 西 筑  以下不明
 
場 所
金国山〜烏尾峠稜線
備 考
金国山山頂 頭をもがれたお地蔵様

明治の廃仏毀釈で壊されてしまったのでしょう。と言うことは江戸時代に国境を示していた地蔵かもしれません。
サイズ゙
高さ 83×横 18×奥行 17(cm) 

臼井郷土館(旧山田市歴史資料室展示
文 字
 是 西 筑 (※) 領 
 2015/6/13画像追加

 

安国寺領入口にあった「是東鉄砲不所」と書かれた鉄砲塚の石碑
場 所
現在の田川市との境(白馬山稜線沿い)が国境でした。現在は、山田市歴史資料室で公開されています。(現在どこにあるか未確認)

2015/6/13追記
現在は、嘉麻市立織田廣喜美術館に併設されている、臼井郷土館に展示されていることを確認しました。
備 考
 
白馬山山頂                                 大法山山頂
2015/6/13追記
2015年6月に「近世以前の土木・産業遺構」のための取材で臼井郷土館を訪ねたところ、郷土館の入り口に国境石が鎮座していました。一瞬、私の知らない石かと思いドキッとしましたが、最近文字の考察のために画像を切り貼りしたばかりでしたので、さすがに山田の歴史資料室にあった石だとすぐにわかりました。現在は鍵付きガラスケースの彼方にありますが、山田の資料室で手に触れることが出来た私は幸せです。
サイズ゙
未採寸

黒田新続家譜の記載内容

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