国境石 裸に剥かれる(筑前・馬市編)

 
私が馬市の国境石(筑前)を整備しているのを見つけたのは2003/12/7のことでした。もう少し早く気づいていればよかったのです
が・・・(気づきようもないのですけれど)

 次(12/16)に行った時には乙隈(筑後)の石もちょうど整備されており、小郡市教育委員会の方のお話を聞くことができました。

 このように基礎部分を見ることができるのは、150〜160年程前に石を建てたときの事以来の歴史的なことではないかと思います。し
かも、馬市・乙隈両方の基礎を比べて見ることは、江戸時代の人でも出来なかったことです。(作られた年代が若干違うため)

 


筑前編(馬市)
馬市(筑前側)の基礎石と国境石本体(棹石)の基礎部分(地中部分)です。こんなに大きな基
礎が入っているとは想像もしていませんでした。

 


西(裏側)
 
東(表・文字側) 

※サイズについては現地に案内板が建ちましたので、ここに記していたいい加減なサイズは
削除しました。案内板のデータをご覧下さい。 案内板へ

 筑前側の石は国境石本体(棹石)と基礎の石の材質が違っています。

 小郡市教育委員会の方の話によると、基礎の内面のうち、一面はきちんとレベルが取って
ある(垂直になっている)が、他の面は少し斜めになっているそうです。この国境石を建てる時
に横から滑り込ませるためにそうしてあるのだろうとのことです。また、上の画像の私が付け
た赤い丸は楔(くさび)が打ち込んであった跡です。


馬市の石も組み立て始められました

 
   3/15                                3/17

 筑前側の国境石を組み直すために25tのクレーン車が出動していました。クレーン車もトラッ
クも無かった時代、いかにしてこの国境石と基礎を運び組み上げたのでしょう。

トップへ
トップへ
戻る
戻る




国境石 裸に剥かれる(筑後・乙隈編)
国境石 裸に剥かれる(筑後・乙隈編)