豊前(小倉)・豊後国境

岳滅鬼峠
 
左 立てかけられた実務的石                        右 象徴的石
wikipediaの記載によりますと、岳滅鬼峠は標高940m、江戸時代は日田から英彦山参りのルートとして、また豊前・日田の最短ルートとして利用されていたようです。

文 字
  是 北 豊 前  小 倉 領 

 
   2015/05/09画像追加                     象徴国境石の背から実務国境石を望む

  
場 所
現在の田川郡添田町と大分県日田市の間、岳滅鬼峠にあります。岳滅鬼峠への道順は、多くの登山HPが存在するようですので「岳滅鬼山」で検索してみてください。
備 考
この道は現在でも結構厳しい登山道です。
(現在は途中まで林道が走っていますので、登山道自体は添田・日田どちらからでも15〜20分程度ですが)
この大きな石と基礎をどうやって峠の上まで運び上げたのでしょう。

石が苔むしているのと天候が良くなかったので良く写っていませんが、実際はもう少しはっきりと文字が読めます。

2015/05/09訂正・画像追加
「従」としていましたが「」に訂正します。

2023/05/01
国立公文書館デジタルアーカイブが公開する、豊前国絵図豊後国絵図共に「境杭」に関する記述はありませんが、後国絵図には「がきめき峠」の記載があります。
サイズ゙
高さ 200×横 30×奥行 30(cm) ※2015/05/09サイズを変更しています。(旧高さ192cm)

実務的国境石1
文 字
 (下部欠損)  是 豊(の曲)
 (上部欠損) 豊(の豆) 前  小 倉 領
 2015/05/09画像追加

 
場 所
現在は岳滅鬼峠に上の象徴国境石と向き合って、立掛けられたように置いてあります。
備 考
この石は岳滅鬼峠稜線の国境に数基建っていた実務的国境石だそうです。現在は破却され完全な形のものはないそうです。

峠に捨てられたように置かれている、明らかに加工された2本の石柱です。わざわざ峠の頂にまで運んであるところを見ると、この石もひっくり返すと文字があるのでしょう。

2015/05/09追記・画像追加
再訪したら、打ち捨てられた石の中から、合いそうなものを選んで上に乗せてありました。見た感じこれで間違いないようですが、誰が乗せたかわからない(文化財の勝手移動の可能性もあります)ので、文字の記載は二つに分けます。

尚、上の写真の打ち捨てられた石もひっくり返して文字が読めるようになっていましたので、新たな石として下に追加しました。
サイズ゙
高さ 88(現存部分)×横 24×奥行 21.5(cm) ※二つを合わせると高さ 140(cm)

実務的国境石2
文 字
 (上部欠損) 國 小 倉 領


 以前の状態から向きが明らかに移動しています。
場 所
岳滅鬼峠に
備 考
上の1石がドッキングしたように、この石も誰かがひっくり返したようで、以前は読めなかった文字が読めるようになりましたので、「国境石らしきもの」から国境石に格上げします。

隣の石も明らかに加工石ですが、サイズが違う(横26.5×18cm)ことから、また横の国境石をひっくり返した時に、当然こちらもひっくり返して文字がなかったのでしょうから、これは国境石ではなかったのでしょう。
サイズ゙
高さ 104×横 30×奥行 27.5(cm)


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