島原半島(島原領・神代鍋島領)


佐賀領(諫早領・深堀領)」<旧「長崎県内の佐賀領」>のページに神代鍋島領を置いていましたが、
島原領石を載せるにあたって収拾がつかなくなりましたので、新たに島原半島一帯の境石として1ページを作ります。

神代鍋島領


 長崎県雲仙市国見町神代付近は、鍋島直茂の実兄 鍋島信房を初代とする神代鍋島家(深堀家と共に家老職)の所領地となります。東西神代村等4ヶ村5,512石あったそうですから、大身の旗本や小大名の半分程度の権勢はあったのでしょう。現在も残る神代鍋島邸はそれはもう立派な門・建物と武家屋敷群です。(ただし鍋島邸の建物自体は大部分が明治以降の物)

 この神代鍋島邸内に佐嘉領境石が2基置かれています。東西1基づつですので神代鍋島領と他領との境の街道筋に置かれたものでしょう。

 この石は佐賀県白石町教育委員会の方から情報をいただきました。
 
左端の藁(トタン)葺きの建物が江戸時代のもの(らしい)

文 字
 従 是 西 佐 嘉 領
  
場 所
雲仙市国見町神代 鍋島邸
備 考
下の「東」の石には「西神代」村と郷村名が入っていますが、こちらの「西」にはありません。サイズ(横・奥)もこちらの方が少し大きくなっています。村仕事(普請)だったのでそれぞれ違うとも考えられますが、同じ物を建てたが「東神代」村の石は何らかの事情で建て替えられたと考えた方がいいのかもしれません。
サイズ゙
高さ 150×横 30×奥行 30(cm)  2009/05/17

文 字
 (上部欠損) 東 佐 嘉 領
 (上部欠損) 郡之内西神代
 

場 所
雲仙市国見町神代 鍋島邸
備 考
サイズ゙
高さ 98×横 21×奥行 21(cm)  2009/05/17

旧瑞穂町内


 神代鍋島家には上記の東西神代村のほかに上伊古村 と古部村の領地がありました。東からみると、土黒村(島原領)→東西神代村(神代鍋島領)→西郷・下伊古村(島原領)→上伊古村(神代鍋島領)→伊福村(島原領)→古部村(神代鍋島領)→三室村(島原領)とモザイクになっています。

外海の深堀領・大村領のモザイクもそうですが、これほど細かく村単位でモザイクに領地を切っていくというのは、為政者(幕府)に何らかの意図があったとしか思えません。
(よそでもないわけではありませんが、その場合交互<モザイク>にはならず隣の隣は別の人<三番目の領主が登場する>の領地となる場合が多いようです。)

普通に考えるとキリスト教弾圧(相互監視)のためでしょう。

旧瑞穂町内の境石に関しては、領境石があるとの情報を聞き現地に飛んだものの見つけられず、藁にもすがる思いで飛び込んだ瑞穂町図書館(一応仕事をしているので、調査はいつも役所が閉まっている土日になります)の方を通じ、地元のT先生を紹介していただきました。T先生には島原藩に関する数冊の著作があります。

2010/10/10
東西どちらの石も裏銘の「之」が抜けていました。修正しています。


古部村(東)
文 字
 從 是 東 佐 嘉 領
  來 郡 之 内 古 部 村
 

 先を尖らせていない頭が特徴的です

場 所
T先生と一緒に情報を集めて回った結果、この石は多分、旧吾妻町と旧瑞穂町(どちらも現在は雲仙市)の間、国道251号(島原街道)沿いの、現在は3体のお地蔵さんがいるあたりに建っていたものではないかと推測します。

 
元あったと推測される場所(瑞穂と吾妻の境)            現在の状態(右が「東」石)        
  
現在は古部の民家に(西)石と並んで建っています。

備 考
これより「東」ということは領地の「西」に建っていた石ということになります。
サイズ゙
高さ 110×横 21×奥行 19(cm) 2010/08/28

古部村(西)
文 字
 從 是 西 佐 嘉 領  
  來 郡 之 内 古 部 村
 

 同じように上を切ってありますが若干形状が違います
場 所
現在は上の東石と並んでいます。元々は、現在JA島原雲仙大正の選果場になっている場所は、古部村と伊福村にまたがっており、この写真の真ん中あたりに川が暗渠されているのが見えますが、この川が村境となり、ちょうどこの赤い建物(消火設備?/伊福側)の川を挟んだ反対あたり(赤丸)に建っていたそうです。



上の「東石」があった場所は推測ですが、「西石」に関しては、この現在JAとなっている場所は元は小中学校で、T先生自身がそこで教鞭をとっていらっしゃって、「この石は間違いなくここで見た。」とおっしゃっています。
備 考
「東石」は「高」・「西石」は「」(はしご)です。筆跡も明らかに違います。
サイズ゙
高さ 120×横 21×奥行 19(cm)  2010/08/28


島原領

伊古村(島原領)領境石
文 字
 此 村 島 原 領
 

 現在の表 貯水池記念
場 所
旧瑞穂町(現島原市)伊古(島原領)の旧庄屋宅前に、現在は「貯水池記念」碑として第二の人生を送っています。
備 考
裏(私にとっての表)は枝が茂ってきており、全容を撮影することが出来ませんでした。また冬にでも行きます。

旧瑞穂町内には「此村佐嘉領」を含めもう数基現存するそうですが、私はまだ出会えていません。

「此村」とは書かれていますが、この石が主張したかったのは村境ではなく領境ですから間違いなく領境石です。村単位でモザイクに領地を切られた両者(島原・神代鍋島)の、領地運営に対する苦労が偲ばれる証拠です。

島原領伊古村は100石だったそうです。

サイズ゙
高さ 135×横 19.5×奥行 19.5(cm)       2010/10/23


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