北九州地区分室



 私の本業(仕事ではありませんが)の国境石の件で、以前お世話になったことがある「北九州
市まちかど探検」に、北九州市内の白水の墨跡の紹介がありましたので、参考にさせてもらっ
て取材に行ってきました。

白水は、

職名
所在地
階級
大正元(1912)年11月
 4(1915)年2月
第十二旅団長
小倉
少将
大正6(1917)年8月
8(1919)年4月
下関要塞司令部司令官
下関
中将
引き続き同年4月
同年11月
第十二師団司令部付
小倉

と、書く立場(将官)になって2度(下関要塞司令部司令官から第十二師団司令部付へは横滑
り)北九州付近で勤務しています。当然、揮毫を頼まれることもあったでしょう。



吉原鉱山碑
 

銘文
表銘
 記念 陸軍少白水淡書
裏銘
 大正四年七月 
場 所
北九州市小倉南区金辺「JR呼野水路跨線橋」の前 
備 考
簡潔です。白水が書いた文字は「記念」のみです。

 大正4年の7月(建立時)には白水は臨時朝鮮派遣隊司令官ですが、その直前
(2月)まで小倉の第十二旅団長でしたので、建立が遅そかっただけで、あるいは
すでに小倉勤務時に書いたのかも知れません。

 数少ない少将時代の墨跡が北九州にあったことに、驚きと喜びを感じます。


中島橋記念碑
 
銘文
表銘
中島橋記念碑
  陸軍中將從四位勲三等功三級白水淡書 
裏銘
 読めず
場 所
八幡西区木屋瀬 須賀神社 
備 考
ちょっとややこしい位置に建っており、私は裏銘を読めていません。 「北九州市ま
ちかど探検」には下関要塞司令部司令官時代と書かれていますので、大正6(1
917)年8月〜8(1919)年4月の間のことであり、位階・勲等など合致します。


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