白水は福岡県内を中心に実に多くの碑文を残している。戦前の碑文は位階をもらっている人に書いてもらうのがステータスだったようで、現在も各地にある碑文を見ると、軍人・政治家・学者等さまざまな人の墨蹟が残っているが、春日・大野城地区のこの時代の碑文は半分以上を白水が書いたようだ。白水が能書家として有名だったと共に、戦前の将軍というものがいかに尊敬の対象であったかがわかる。
地元の春日・大野城地区には白水揮毫の注連縄掛柱が多く残っている。不思議なのは、神社にかかわる墨蹟のうち、筑紫地区ではほとんどが注連縄掛柱だが、糸島地区ではこれが神社碑に替わる。
これは単に流行だったのであろう。隣村のお宮が白水将軍に注連縄掛柱(神社碑)を揮毫してもらったと聞いて、「では、うちのお宮も」となっていったのであろう。そういえば、春日・大野城の神社には神社碑がない(あっても新しい)。
ここでは軍人らしい真面目な文字を書く白水の墨蹟を年代順に紹介いたします。尚、文字を読みやすいように写真を加工してあるので、多少現物と色合いが違ってきていることをご了承ください。
春日市とその他の旧筑紫郡をまとめて1ページとしていましたが、さすがに地元の旧筑紫郡には、私の想像を超える量の墨跡が残っていました。そこで、旧筑紫郡から地元の春日市を独立させ、春日本館と筑紫地区新館に分けました。尚、「本館・新館・別館・分室」というのは、私がページ編集の都合上勝手に付けているあくまでもお遊びです。
※各銘文内の赤文字は旧字や特殊文字等間違えやすい文字。
☆ 筑紫地区
※朝倉郡夜須村(建立当時)のものも、便宜上ここにあります。
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