薩摩の境石


岩塚
文 字
従 是 西 薩 摩
 
 
 
       国見山稜線より国境の石を見る(送電線の鉄塔の下辺り)
場 所
現在の鹿児島県大口市(現在は伊佐市)と熊本県人吉市の境、国見山。山の稜線より数百m肥後側に入り込んでいます。
一応林道(未舗装)が走っていますが車で入るのは危険でした。今回、大口市立図書館のご担当の方から地図を送っていただきそれを参考に入りましたが、地図は正確でも目標になるものが何もなく、もし現地で猪狩りの方に会わなければ見つけられなかったでしょう。
備 考
なぜ国境が稜線からずれているかについて「ふるさと散歩」(大口市郷土誌編纂委員会)によると、『大口(薩摩)と相良(肥後)間で領境争いが勃発し、双方から人を出し実地見分をした折、薩摩側が証文を偽造しどこかに「従是西薩摩」と彫った石があるはずだと主張した。』となっています。ただしその時に「従是西薩摩」と彫ったのかは書かれていません。

私が現地で見た感じでは、この石に国境の銘文が彫られたのは、単にそこに丁度いい石があったから・そこにしか石がなかったからというような気がします。そしてこの国境石は藩仕事ではなく村(もしくは個人)仕事だったのではないかと思っています。

ちなみに、途中に旧陸軍が化学兵器用毒物を埋設した場所があるらしく、猪狩の方から「そこには近づくな」と言われましたが、結局どこかわかりませんでした。

2023/06/01追記

天保の薩摩国絵図には、伊佐郡青木村(伊佐市大口青木)と肥後国球磨郡薩摩瀬村(人吉市上・下薩摩瀬)の間に街道(通路)が結ばれており、国境に「國見岩塚境石」の記載があります。天保の肥後国絵図のも同じく國見岩塚境石の記載があります。
サイズ゙
石の大きさ)高さ 300×横 500×奥行 150(cm) 
 字 筋  )高さ 130×横 27(cm)
各字の縦寸)従=22 是=24 西=18 薩=27 摩=27.5(cm) 


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