現地に案内板が建っていましたが、これが一番わかりやすいかと思います。
中山道は基本的に鵜沼村(尾張領)内を通っていましたが、一部で各務村(公領)がはみ出してきており、1Kmほどですが尾張領を離れ公領(幕府領)を通ります。中山道を下ってくると、鵜沼宿の先、現在の「おがせ町」交差点のあたりで「これより東」の領境石を見ながら公領各務村に入り、1kmも行くと、現在のJR各務ヶ原駅の前あたりで「これより西」の領境石を見て、また鵜沼村尾張領になったそうです。この公領がはみ出した両端に建てられたのが、この両境石のようです。
西と東ですので、尾張領の両端に建てられたような錯覚に陥りますが、実際は往時も、1Kmも離れていない場所に建っていたようです。
現在は鵜沼宿の入り口、坂祝バイパスの両端に建っています。

この絵図の出典がわかりませんが、境石2基の絵とは別に、御境杭との表記も見えます。これも気になります。
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