筑後国内の郡・村境石

久留米藩
生葉・竹野郡 竹野・山本郡 山本・御井郡 御井・上妻郡 上妻・下妻郡 御井・御原郡

筑後國久留米領

 生葉・竹野郡境石
文 字
東 生 葉 郡
西 竹 野 郡  分 界 
               1の傍に建つ案内板

 
1

 
2
場 所
吉井町(旧生葉郡 2005/03/20よりうきは市)と田主丸町(旧竹野郡 2005/02/05より久留米市)の間、筑後川から鷹取山にかけて5基残っているそうです。
1は災除川(南新川?)の北側 生葉に、2は県道151号の旧道 千代久です。
備 考
現在は吉井町も田主丸町も浮羽郡です。(さらに現在は両町とも合併し、浮羽郡は消滅しています。)
サイズ
1)高さ 150×横 22.5× 21(cm)
2)高さ 187×横 21× 21(cm)


竹野郡・山本郡境石
文 字
東  竹 野 郡 
西  山 本 郡
元禄八年次乙亥十一月建立 
 
場 所
豊後街道上になります。久留米市大橋と田主丸町(2005/02/05より久留米市)牧の堺、巨瀬川の堤防の上に建っています。
備 考
最近彫ったのでは?と思うほど鮮明な、小さくて可愛い文字です。
元禄8年は1695年。

この石と次の「山本郡・御井郡」「御井郡・上妻郡」の久留米周辺の3つの郡境石に関しては、久留米市教育委員会文化財保護課の方に資料と地図を送っていただきました。
サイズ
高さ 160×横 21×奥行 35(cm)


山本郡・御井郡境石
文 字
東 山 本 郡
              分 界
西 御 井 郡
元禄八年次乙亥十一月建立
 
場 所
県道151号上久留米市山本と山川の境に建っています。
この通りは豊後街道山辺道と呼ばれていたそうです。
備 考
山辺道と平行に走っていた豊後街道中道の津遊川にもう一基建っていたそうですが、古い資料によると折られて川中に投げ込まれ、洗濯台として使われていたそうです。(現在は不明)
切りだしの虎目が、洗濯板替わりに丁度良かったのだろうと考えると、残念ですがちょっと笑えます。

久留米市有形民俗文化財(S49指定)
サイズ
高さ 195×横 22.5×奥行 22.5(cm)


御井郡・上妻郡境石
文 字
南 上 妻 郡
             境
北 御 井 郡
 
場 所
八女郡広川町清楽と久留米市藤山の境、県道82号のそばの旧尾根道であったであろう清楽の入口に建っています。ここは旧坊の津街道です。
備 考
熊渡山の帰りに通りかかりましたので寄ってきました。夏には見えなかった部分も見えるようになっていました。(2003/12/07)
サイズ
高さ 170程度×横 26×奥行 21.5(cm)


上妻・下妻郡境石(東西)
文 字
       西 下妻郡
表)従是       分境
       東 上妻郡
裏)文政二年乙卯五月吉日
 
場 所
筑後市の国道209号線 二本松交差点の南をちょっと脇(東)へ入ったところです。
備 考
上部が割れた(剥がれた)ようで、針金で応急修理されています。
文政2年は1819年です。
サイズ
高さ 120×横 19.5×奥行 19.5(cm)

上妻・下妻郡境石(南北)
文 字
           北 上 妻 郡
(上部欠損)
           南 下 妻 郡


 
場 所
上の東西(上妻・下妻)郡境石のすぐそばに。
備 考
この2基はすぐ近くにありどちらも「上妻・下妻」の郡境を表していますが、石質・裏銘のありなし・表銘の文字(南北石には「分境」の文字がなさそう)等違いがあります。
サイズ゙
高さ ×横 ×奥行 (cm)


御井郡・御原郡境石(小郡市平方)
文 字
   北御原郡
従是北四百六間 古飯村下場
   南御井郡 
文政十二年丑年
   九月
 
場 所
県道737号の旧道(薩摩街道・横隈街道)小郡市平方と古飯(ふるえ)の境ですが、郡境にではなく平方側にあります。
備 考
手の込んだ加工ですね。文字面(表)を広く、段差をつけて後ろを小さく作ってあります(安定のため?)。文政12年は1829年。
サイズ
高さ ×横 ×奥行 (cm)

大刀洗町
文 字
        南御井郡
表)従 是      境
        北御原郡 
裏)天保九年戌歳七月吉旦
 
場 所
現在は太刀洗中央公民館にあります。
備 考
天保9年=1838年
サイズ
高さ 147×横 21.5×奥行 20.5(cm)

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