文 字
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上部不明 豐 前 國 |
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場 所
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八幡東図書館に欠損境石(筑前)と共にあります。
2019/06/01
先日久しぶりに当地を訪れたところ、八幡図書館の位置には市立八幡病院が新設されており、八幡図書館は横にずれていました。そして豊前・筑前の両欠損国境石は見当たりませんでした。地域環境の変化に伴いいのちの旅博物館に保管されていますが、今のところ公開については何も決まっていないようです。(現状非公開) |
備 考
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豊前の方の上の文字は「東」でしょう。筑前・豊前石とも折尾砂岩といわれる石質だそうです。
2019/06/01
「豊」としていたものを「豐」に改めました。
2023/04/01
国立公文書博物館が公開する天保の豊前国絵図から、企救郡の筑前国境に描かれた「国境杭」「境石」は、
江ノ口に掛かれた国境杭(これは文字が書き込まれた場所・向きから、江ノ口の筑前国境石を指すと考えています。)
唐津街道に描かれた国境杭(境川筋境石)
長崎街道に描かれた国境杭(豊前荒生田村の内新町〜筑前大蔵村間)
豊前田代村と筑前畑村を結ぶ峠道上に描かれた境石(筑前絵図・豊前絵図共に自国向きに文字が書かれており、筑前境石のみが現存しているが、豊前石もあったのでは?)
しかありません。もちろん天保の筑前国絵図に描き込まれた国境杭の倍近い筑前国境石が現存していますが、八王子の数基と金毘羅池は、紛争の結果(紛争に備え)建てた実務的な国境石と考えており、国絵図には載らないものでしょう。
そう考えると、豊前・筑前のそれぞれ欠損境石だけが原位置不明になります。豊前・筑前の欠損境石はセットで置かれていましたので、当時も対で建っていたと錯覚しがちですが、そうであるとは限りません。
豊前の欠損境石を、天保の豊前国絵図 長崎街道上「此所國境杭有」の国境石とすれば、豊前石に関しては過不足がなくなります。(筑前の欠損境石は原位置不明のままですが。) |
サイズ゙
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高さ 78(現存部)×横 20×奥行 20(cm) 砂岩 |