豊前小倉領・豊前中津領境

☆(吉富町)小倉領 中津領    (豊前市)小倉領 中津領

小倉領(吉富町 界木)
文 字
 従 是 西 小 倉 領
 
2015/11/04 画像を追加しています。

  御界川(左 中津領・右 小倉領) 
場 所
吉富町直江付近です。県道113号線の1本海側の道沿いです。
備 考
筑前との境の石には「豐前國」の文字がありますが、豊前国内の領境ですのでこちらにはありません。
界木という地名は、元々ここに境の杭を建てたところからついた地名だそうです。

2015/11/04
画像及びサイズのデータを追加しています。
サイズ゙
高さ 260×横 26×奥行 25(cm)

中津領(直江)
文 字
 従 是 東 中 津 領 

2015/11/04画像を追加しています。

 
場 所
「界木 小倉領の石」と背を向けて建っていたものですが、直江の八坂神社内に移設されています。
備 考
一番下の部分が無くなっているようで、コンクリートで作ってあります。

慶応3年に領境が御界川から数十m西の佐井川に移ったとなっています。慶応3年(1867年)10月15日には大政奉還・翌年には明治となっていますので、佐井川が領境だったのはほんの一瞬だったようです。

誤解があるといけませんので追記しますが、廃藩置県で小倉県として県境が確定するのは明治4年です。いずれにしてもほんの一瞬ですが。

(2004/08/07)
この石は明治以降、階段の石段の一部として使われていたそうです。下が切れているのはそのせいだそうです。

2015/11/04
画像の追加及びサイズのデータを訂正しています。
サイズ゙
高さ190(復元部分含まない)×横26×奥行24.5(cm) 旧サイズ 高さ247(復元部分含む)×横26×奥行26(cm)

佐井川端(豊前市)
小倉領
文 字
  是 西 小 倉 領
  
2015/11/04 画像を追加しています。下の以前の画像と比べると、かなり環境が変わっているのがわかります。

 
場 所
元々は、豊前市高田505先の川端に建っていたと推定されていますが、高田の個人宅に移設されていました。
その移設先の個人宅も今は取り壊され、広大な敷地の片隅に建っているというか、倒れかかっています。 
備 考
下の中津側の石と対になるものです。現在は豊前市高田の民家にあります。

2015/11/04
画像及びサイズのデータを追加しています。以前は確認できずに「従」としていたものを「從」に訂正しました。
サイズ゙
高さ 210×横 26×奥行 24(cm)

中津領
文 字
 従 是 東 中 津 領
 
2015/11/04 画像を追加しています。

 
場 所
中津街道上往還 佐井川の川端で、上の小倉領の石と背を向け合って建っていたものです。現在は久路土(くろつち)の民家にあります。
備 考
吉富町の領境石の上流になります。筆跡や大きさもそっくりですので同時期に建てられたものでしょう。

豊前市の石に関しては、豊前市教育委員会の方に資料をいただきました。

2015/11/04
画像を追加し、サイズのデータを変更しています。
サイズ゙
高さ 250×横 24.5×奥行 24(cm) (旧サイズ高さ 200超×横 24.5×奥行 24.5)


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