平戸領境石

舳の峰峠(領)
文 字
従 是 西  平 戸 領 
  
場 所
旧平戸街道 舳の峰峠(へのみねとうげ 現佐世保市重尾)にあったものだそうで、現在は峠から少し下った民家にあります。
備 考
舳の峰峠は平戸領と大村領の境です。 この石の吉田松陰 西遊日記の記載
サイズ゙
高さ 128×横 23×奥行 23(cm)

舳の峰峠(藩)
文 字
從 是 西 平 戸 藩 支 配 所 
 
場 所
上の「平戸領」境石と同じお宅にあります。
備 考
私は「藩」と記された境石を初めて見ました。この石については、

@「藩」は江戸時代には公式に存在しません。「藩」は大政奉還後(慶応3年・1867年)から廃藩置県(明治4年・1871年)の間に存在した(旧幕府領を府・県に置きなおし、旧大名領地を藩とした)もので、「領知」・「御家中」を「藩」と呼ぶのは江戸末期の流行語のようなものですから、(私的な文章では使われていたようですが)江戸時代に公的な境石に「藩」と書くだろうか?

A江戸期に於ける「支配所」は幕府領地(公領)の分担統轄を指す言葉であり、松浦家がわざわざ摩擦を起こすような事をするとは思えません。

B平戸領絵図にこの峠に2つの領境石が並んであることが記されているそうですが、下の番所跡の案内板にあるとおり松陰の西遊日記(嘉永3年・1850年)にも「大村領」・「平戸領」各1基の石が建っていると記されています。記録好きで生真面目な松陰のことですから、もし「藩」という文字をそこに見つけたら日記に記したのでは?と思いますので大政奉還の15〜16年前には存在していなかった。

ことから少し新しい江戸時代後のものではないかと思いますが、そうすると、私のホームページ唯一の正しい意味での「藩境石」なのかも知れません。
サイズ゙
高さ 156×横 23×奥行 23(cm)




 
現在の舳の峰峠(番所峠)付近                        番所(の柵?)の基礎石
「番所の基礎石」も上の境石があるお宅に保管されているものです。このお宅は番所の役をされていたようで、ご主人に貴重な資料を見せていただきました。江戸の交通・行政に関する生の資料に触れることができとても勉強になりました。

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