基肄郡(きい・全域)養父郡(やぶ・半域)(両郡に三根郡を加え現在は三養基郡)は対馬領宗家の領地です。この領地10,037石は朝鮮の役の功労として、豊臣 秀吉から慶長4年(1599年)に貰ったものです。慶長10年に2,800石追加され計12,837石、途中一部公領となるも幕末まで同石高で、代官所は田代(鳥栖市)に置かれていました。

代官所は現在の田代小学校付近です。
「対馬藩は朝鮮にちかい対馬島を本拠とする藩だが、対馬では米の収穫高がひくいため、現在の佐賀県内に飛地をもっている。」 司馬 遼太郎「世に棲む日々」より抜粋
(ちょうどよい資料がありませんでしたので司馬先生の小説を拝借しました)
対馬領(対州領)に関しては「こちら」にも多少記載があります。
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