『従』と『從』・『國』と『領』

 
 一つの地域に複数の国境石がある場合、それがどちらも同じ国の国境石ならば、単純に古いほうが『』・新しい方が『』となりま
す。中には先代を忠実にコピーしたからなのか、比較的新しい石でも『』の石もありますが・・・

 
筑前国境石 先代『』   (飯塚市)   筑前国境石 次代『

 それに対し一つの地域に向かい合う2つの国の実務的な境石がある場合やもやい(両面彫)の石の場合、片方の国が『』・もう一方
が『』で揃えてあることが多いのですが、その場合には両国間で話し合って意識的に国ごとに文字を揃えたのでしょう。

背を向けて建つの二国の国境石
 
筑前側『』 (小石原村<現 東峰村>・添田町 13) 豊前側『

もやい(両面彫)の領境石
 
福岡領『』  (前原市 多久・東 領境石18)  公領『

 その目的は、出水・土砂流出等で文字が埋まりかけたり、万一破損してももどちらがどちらの石かが判別できるようにした、江戸時代
の知恵だったのでしょう。

実際に埋まりかけて『』『』の部分しか地表に出ていなかった国境石


 
肥前国境石『』 吉野ヶ里町>・那珂川町 29・30) 筑前国境石『


 しかし、もちろんこれには例外もあり象徴的な大きな国境石ではあまり気にしていなかったようでですし、並列やもやいの境石でもど
ちらも『』『』それぞれの文字でで統一されてある石もあります。中にはもやいの石列で『』『』が混在している石まであります。


文化文政年間ながらどちらも『』の三瀬峠(街道筋の象徴国境石)


同一石群ながら『』『』が混在するもやい(両面彫)の村境石
 
多久『』      ↑4      神在『
前原市 筑前領 多久・豊前中津領 神在
多久『』       ↓5     神在『
    




 一方、国境石に於ける『』『』については、初期には『』ですがある時期より『』に代わっていきます。これには明確な幕府の
指示があって統一されたという話を何かで読んだことがあるような気がして、この資料をずっと探しているのですが、今その資料を見つ
け出すことができません。

 また、例えば一国複数領の豊前小倉藩の国境石は必ず「豊前(國)小倉領」(初期は「國」が無いものもある)と国境・領境の兼用とい
うかしっかり表記してあるものですが、筑後久留米藩の国境石は「筑後國(領)」と国名だけが書いてあります。

 さらに宮崎県牛之峠の飫肥領境石のように、国境となる領境にも国名を記さず領名だけを記してある実質国境石となる領境石もあり
ます。

先代『』 (烏尾峠) 次代『



国名領名が入っている国境石        国名のみの国境石      
 
筑後柳川領(肥後国境)(大牟田市湯谷)    筑後久留米領(筑前国境)(小郡市乙隈

 2006/01/15


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『是』と『此』
『是』と『此』