朝倉市杷木(旧杷木町)は、南では筑後川を挟んで全域で筑後と、東は穂坂で豊後と境を接していました。
豊後との境は、国境石の裏面に書かれているように、筑後川の支流 境谷川の川中です。境谷川はこの下流ですぐに筑後川に流れ
込みますので、筑後川の川中で筑前上座郡穂坂村・豊後日田郡関村、そして筑後生葉郡山北村の三国境となっています。

現在の境谷川 国道386号から 左端に近代の県界標が写る
この豊後境に置かれた国境石は、私が確認しているのは現在のところ2基だけです。この2基を並べてみます。私は同じ筆跡と判断
していますが、表は現在阿蘇神社にある石(以下、阿蘇神社)の文字が少し不鮮明で、画像上では特徴を指摘できなかったので(全体
的にそっくりです)、

左 阿蘇神社 右 はき図書館 左 阿蘇神社 右 はき図書館
わかりやすい裏面で比べてみます。一番わかりやすいのは「半」の文字です。一画目は外に開く「ノ」に、二画目は「ゝ」状になっていま
す。さらに三画目は「ー」でさえなく、「・」が2つになっています。 また「谷」の二画目が「ゝ」状になっているのもわかりやすい特徴です。
これらを始めとする多くの特徴から、文字は同じ人が書いたものですが、石の形状は違います。

左 はき図書館 右 阿蘇神社
現はき図書館の石は、頭をスパッと切って虎目に加工してありますが、阿蘇神社の方は盛り上がって、緩やかな四角錐になっていま
す。なぜこのような違いが出たのか、もう少し数があれば一定の法則が見えるのかもしれませんが、サンプルが2個しかないので何と
も言えません。
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