朝倉市杷木

 
 朝倉市杷木(旧杷木町)は、南では筑後川を挟んで全域で筑後と、東は穂坂で豊後と境を接していました。

 豊後との境は、国境石の裏面に書かれているように、筑後川の支流 境谷川の川中です。境谷川はこの下流ですぐに筑後川に流れ
込みますので、筑後川の川中で筑前上座郡穂坂村・豊後日田郡関村、そして筑後生葉郡山北村の三国境となっています。




現在の境谷川 国道386号から 左端に近代の県界標が写る

 この豊後境に置かれた国境石は、私が確認しているのは現在のところ2基だけです。この2基を並べてみます。私は同じ筆跡と判断
していますが、表は現在阿蘇神社にある石(以下、阿蘇神社)の文字が少し不鮮明で、画像上では特徴を指摘できなかったので(全体
的にそっくりです)、

 
左 阿蘇神社   右 はき図書館                    左 阿蘇神社   右 はき図書館

わかりやすい裏面で比べてみます。一番わかりやすいのは「半」の文字です。一画目は外に開く「ノ」に、二画目は「ゝ」状になっていま
す。さらに三画目は「ー」でさえなく、「・」が2つになっています。 また「谷」の二画目が「ゝ」状になっているのもわかりやすい特徴です。

 これらを始めとする多くの特徴から、文字は同じ人が書いたものですが、石の形状は違います。

 
左 はき図書館                            右 阿蘇神社

 現はき図書館の石は、頭をスパッと切って虎目に加工してありますが、阿蘇神社の方は盛り上がって、緩やかな四角錐になっていま
す。なぜこのような違いが出たのか、もう少し数があれば一定の法則が見えるのかもしれませんが、サンプルが2個しかないので何と
も言えません。

 
 2019/07/01 

現阿蘇神社
文 字
表)  是 西 北 筑 前 領  
裏)      谷 川 半 境

 
2019/07/01画像2枚追加

 
場 所

杷木町(2006/03/20より朝倉市)は、東部が豊後境・南部が筑後境でした。この石は「西北」となっていること、大きな筑
後川でなく「谷川」が境であることから、豊後境であることがわかります。

現在は、杷木町の外れ阿蘇神社の入口にあります。

備 考
サイズ゙
高さ 145×横 24×奥行 24(cm)

現はき図書館 (元こども未来館はき)
文 字
表)  是 西 北 筑 前 領  
裏)      谷 川 半 境

 
2019/07/01画像2枚追加

 
こども未来館はきにあった頃
場 所

現 阿蘇神社の石と同じ川(境谷川)にあったものです。

備 考

杷木町(現在は朝倉市)は筑後境でもあったわけですが、杷木町教育委員会にお聞きしたところ、「志波村の控石」以
外には、筑後との境石は現存していないそうです。

2019/07/01追記

こども未来館はきの建て壊しのため、平成21年にはき図書館(旧杷木町役場横)に移設されています。初期の頃は掲
載年月日を入れてませんでしたので、今となっては最初に掲載したのがいつのことかわかりませんが、移設されたのを
知っていながら10年以上放置していました。申し訳ありません。

言いわけをすると、元々原位置になかったものが、原位置以外の場所へ再移動しても、あまり関心がありません。

サイズ゙
高さ 114×横 22.5×奥行 22.5(cm)


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