近代の県界標 (福岡県境)


 「昭和の縣界標」として福岡県のものだけを掲載していましたが、他県の県界標も少しストックがありますので、近代の県界標として再編成いたしました。このページには福岡県のものを、次ページ以降に他県の石を掲載の予定です。

 尚、現在把握しているのが県界標のみのため「近代の県界標」としていますが、「府界標」を見つけられれば変更します。(都は昭和18年以降ですから、さすがに都界標は存在しないでしょう。)

 尚、長崎県佐世保市舳の峰峠の「平戸藩境石」と愛媛県宇和郡愛南町の「伊豫國和島藩境石」は、「近代」と判断していますが「県」ではありませんので(大政奉還から廃藩置県の間と考えている)、それぞれの国・領境石のページに置いています。

 
 私は近代の県界標については資料(史料)を持ち合わせていません。国境石を見に行ったついでに見つけた県界標の画像がありますので、ここでまとめて紹介します。

 多分、各県境の主要道路沿いにあったはずですので、「ここにある」という情報がございましたら是非教えてください。 右・左は道路から見て右面・左面です。

 このページは2019/04/18に再編集していますが、元画像のストックが見当たらなかったため、画像をリサイズして使っています。そのためボケ気味になっていますので、機会があれば画像を撮りなおします。(今となっては原位置にない、小郡市の県界標以外。)
 

福岡県/佐賀県
 ☆糸島郡二丈町(現在は糸島市/国道202号) 
 ☆小郡市(国道500号) 

福岡県/大分県
 ☆朝倉郡杷木町(現在は朝倉市/国道386号) 
 ☆浮羽郡浮羽町(現在はうきは市/国道210号)
 ☆八女郡矢部村竹原峠(現在は八女市/国道442号)

福岡県/熊本県
 ☆八女郡立花町矢部谷峠(現在は八女市/県道4号) 
 ☆八女郡立花町小栗峠(現在は八女市/国道3号)
 ☆八女郡黒木町鹿牟田峠(現在は八女市/県道13号)



福岡県/佐賀県

糸島郡二丈町 (2010年1月1日より糸島市)
文 字
表)  福岡
           界標   福岡縣 
     佐賀    
右) 至 唐津一0.四七粁 ニ里二十四丁
左) 至 福岡四ニ.三三粁 十里十八丁
裏)   昭和三年十月改築

 
2019/07/01画像2枚追加

 
場 所
国道202号線、二丈町(2010年1月1日より糸島市)鹿家と佐賀県浜玉町(2005年1月1日より唐津市)の境です。
備 考
近くに鹿家の国境石があります。

また、県界標の浜側にある包石も江戸時代よりの国境の印でした。



数年前に、台風でだったか一番上の石が落ち、その後に修復されています。一部(表から見えにくい部分)をコンクリート(モルタル)で補強してあったような気がします(あいまいな記憶です)。糸島市のHPによると、平成14年の台風で落ち、平成16年8月に修復されたそうです。

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未採寸

小郡市
文 字
          福岡三井郡小郡村
表) 界標
          佐賀三養基郡田代村 
右) 至 田代 ニ粁
    至 久留米市 十二粁
左) 至 飛行隊 八粁
    至 甘木町 十三粁
裏)    福岡
  

 
場 所
原位置は国道500号線上、小郡市と佐賀県鳥栖市の境です。この県界標は250m程東の「流通センター入口」交差点に移動しました。70数年の現役を終えモニュメントになってしまいました。
備 考


移設された県界標

(2019/04/18追記。ここは私の覚え書です。)

このページの整理をしていて、単純に「太刀洗の飛行場っていつからあったのだろう」と気になったので調べました。1919(大正8)年の10月に飛行場が開設され、同月航空第四中隊(所沢)が移転してきたそうです(使用機はサルムソン2A2か?)。

また昭和4年から昭和11年6月に雁ノ巣飛行場が出来るまでの間は、民間航空会社(日本航空輸送)も利用しており、大阪を経て東京の国内便や、釜山〜京城(現ソウル)を経て大連への国際線もここを発着していたそうです。使用機材はフォッカー・スーパーユニバーサルで、乗員は操縦士2名・乗客6名、最高速は248km/h・航続時間は5時間。

各都府県庁間の距離になりますので、正確な飛行距離ではありませんが、東京〜大阪401km、大阪〜福岡は486km、福岡と釜山は近くて218kmです。理論的には東京〜福岡も直行できそうです。

運賃は東京〜大阪間が30円、福岡〜京城間は40円との記載があります。私は、悲劇の中将 白水 淡の真実内で、白水の大正10年時の退職金3,000円を15,840,000円と計算しています。10年も変わらないほぼ同時期の話ですので、多少のインフレを加味しても、東京〜大阪間が16万円前後というところでしょうか。確かに高いですが、思ったほどには高くはありません。仮に現在の貨幣価値で16万円だとして、満席でも一飛行100万円にもならず、機材の償還・燃料費・たぶん外国人であったであろう操縦士2名の賃金はとても賄えないような気がします。

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未採寸


福岡県/大分県

朝倉郡杷木町 (2006年3月20日より朝倉市)
文 字
          大分日田郡夜明村字関
表) 界標
          福岡朝倉郡杷木村大字穂坂  
右)  至 甘木町 二十粁三百七十八米突
    至 大宰府町 四十四粁四十四米突
    至 福岡市 五十三粁百四米突
左)  至 日田町 十一粁三百 以下不明
    至 耶馬溪・羅漢寺 五十二粁七百 以下不明
    至 中津町 六十二粁七百 以下不明
裏)     昭和三年三月 福岡縣 [境界川中突]

  

 ここまで3枚2019/06/01画像追加

  

 
場 所
国道386号線上、朝倉郡杷木町(2006年3月20日より朝倉市)と日田市夜明の境です。
備 考
この近くにあった国境石は「こちら」。 2019/06/01画像追加。
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未採寸

浮羽郡浮羽町 (2005年3月20日よりうきは市)
文 字
    (※)
表)  昭和三年三月  福岡縣 
右) 至 日田町 九 粁百二十四米突
   至 耶馬溪・羅漢寺 五十二粁四百七十八米突
   至 中津町 六十二粁五百四十九米突
左) 至 吉井町 十 粁六百ニ米突
   至 田主丸町 十七粁二十五米突
   至 久留米市 三十四粁五百五十米突
          大分日田郡五和村大字川下
裏) 界標
          福岡浮羽郡山春村大字三春

 
2019/07/01画像2枚追加

  

 
場 所
国道210号線、浮羽町(2005年3月20日よりうきは市)三春と日田市川下の県境です。
備 考
他の県界標とは道路から見た表裏が逆になっています。単純に考えると道路がずれた、もしくは道路拡張で移設する時に表裏を間違えたのでしょうが、確証はありません。
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未採寸

八女郡矢部村 (2010年2月10日より八女市) 竹原峠
文 字
    大分
表)       界標  福岡 
    福岡 
右) 至 大分 一三ニ、九0三米(三十二里三十丁)
左) 至 福岡 九五、七0一米(ニ十四里十三丁)
裏)   昭和四年十一月
  

 
場 所
国道442号、八女郡矢部村(2010年2月10日より八女市)と大分県日田郡中津江村(2005年3月22日より日田市)の境、竹原峠です。
備 考
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未採寸


福岡県/熊本県

八女郡立花町 (201年2月10日より八女市) 矢部谷峠
文 字
   福岡
表)     界標  福岡縣 
   熊本 
右) 至 福岡 六九、五四ニ米(十七里ニ十五丁)
左) 至 熊本 五ニ、九九七米(十三里十七丁)
裏)   昭和四年十一月
  

 
場 所
県道4号線八女郡立花町(2010年2月10日より八女市)と熊本県玉名郡三加和町(2006年3月1日より和水町)の間、矢部谷峠です。
備 考
頂付近は離合も出来ないような道ですが、県界標があるところを見ると昭和初期には主要道路だったのでしょう。
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未採寸

八女郡立花町 (2010年2月10日より八女市) 小栗峠
文 字
   福岡
表)     界標  福岡 
   熊本  
右) 至 福岡 六九、九三七米(十七里ニ十九丁)
左) 至 熊本 四三、五ニ三米(十里 以下不明
裏)   昭和四年十一月 
  

  
↑夏                  
場 所
国道3号線、立花町(2010年2月10日より八女市)と熊本県鹿本郡鹿北町(2005年1月5日より山鹿市)の間、小栗峠。
備 考
冬になれば、不明の部分の文字も読めるようになるのでしょうが。

冬になり文字が読めるようになりましたので画像をUPしましたが、熊本側の文字は石が転がり落ちてきていて一部読めません。
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未採寸

八女郡黒木町 (2010年2月10日より八女市) 鹿牟田峠
文 字
   福岡
表)     界標  福岡
   熊本  
右) 至 福岡 七0、八0七米(十八里一丁)
左) 至 熊本 四八、一ニ三米(十ニ里九丁)
裏)   昭和四年十一月
  

  
場 所
県道13号線、八女郡黒木町(2010年2月10日より八女市)と熊本県鹿本郡鹿北町(2005年1月5日より山鹿市)の間、鹿牟田峠です。
備 考
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未採寸

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近代の県界標(福岡県以外)
近代の県界標(福岡県以外)