文 字
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従 是 西 今※ 治 領 ※今は「ラ」が「テ」になる異字体 |
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場 所
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今治市国分6丁目、県道156号線国分寺のそばの民有地(民有地ではなく公民館跡かも)に建っています。
2023/03/01 この欄を全面的に書き直します(原位置に変更はありません)。
この境石の原位置を、県道156号線の一本西旧道沿いの、国分の桜井との境としていましたが、場所をもう少し詳しく、愛媛県立図書館デジタルアーカイブから越智郡地図 地誌付(年不詳ながら明治時代/同地図は180°回転させてやると見やすい)で見ますと、当然ながら県道156号はまだなく、四国街道は大川(この川は現在も大川)沿の道となっています。
同地図では酒井川(と書かれているように見えます)と大川の合流点に久四郎橋が掛かっていますが、久四郎橋上流の大川のクランクは、、現在の郷桜井1丁目と桜井3丁目の間にある大川のクランクと同じ形です。それらクリークや橋、神社・寺、村境を細かく付き合わせていきますと、山人橋が国分6丁目1・7と同2・6の間に架かり、口田橋は国分6丁目2・6と同3・6の間に架かっていたようです(現在はどちらも橋名版なし)。
四国街道上の村(領)境が国分村と桜井村(公料)ならば、この領境石の原位置は、越智郡地図 地誌付で見た四国街道(大川沿い道)上、朔日溝が大川に合流する地点になります。現代の地図では、国分6丁目4の桜井3丁目1との境になり、今昔マップから今治 明治32年測図 大正14.6.30発行で見るとここになります。
四国街道上に領境石を建てたのならば、越智郡地図 地誌付でいう西條往還上の、古国分村(今治領)と桜井村の間には領境石は建たなかったのでしょうか? 西條往還上の領境は、今昔マップから今治 明治32年測図 大正14.6.30発行で見るとここになります。
ここから先は一応検討しましたので、覚え書きです。越智郡地図 地誌付から上記の山人橋・口田橋、国分と旦(江戸時代は公料)の村境などを検討しますと、現在の国分6丁目6番の東南側半分・同5番と郷桜井1丁目1番・2番の酒井川以西は旦村のはずですが、現在の旦は予讃線の東には越えて来ておらず、大川及び酒井川には接していません。予讃線を限りに区画整理があっているのでしょうか?
同地図では村境の黒線は、口田橋から朔日溝に掛けて、四国街道の赤線と並行して走っています。村境が四国街道を二分しているならば、領境は国分(今治領)と桜井(公料)ではなく、国分と旦(公料)になり、越智郡地図 地誌付で見る口田橋東詰がこの領境石の原位置になるでしょう。今治 明治32年測図 大正14.6.30発行で見るとここになりそうです。(街道上が領境になるオンラインの場合、道の両側ともに「是より西<正確には北西ですが>は今治領」と言える場所まで下げて、領境石を建てたでしょう。)
これは微妙なところで、村境が道中央ではなく、川中中央ならば四国街道は国分村の内です。
旦と国分の間の、村境の黒線は四国街道の赤線と被っていませんので(同地図の九四郎橋から九条北橋までは、黒線と赤線が被っている)、どうやら国分・旦の間の村境は川を基準としており、四国街道は国分村の内と判断しました。 |
備 考
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馬越でわざわざ「文字が可愛い」と書いたのはこの石の文字との比較のためで、近接(同一郡内)ですが筆跡が全く違います。 |
サイズ
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高さ 190×横 25×奥行 25.5(cm) 花崗岩 |