大牟田市四ケ字川床にある宮地嶽神社には、加藤清正の冑岩・立花宗成の烏帽子岩といわれる、国境の印とされる石があります。

加藤清正の冑岩 立花宗成の烏帽子岩
宮地嶽神社の所在は四ケですが、福岡・熊本県境ぎりぎりにあり、私は熊本側から上がっていきました。現地に掲げられた由緒書きによると、『秀吉による九州平定後、加藤清正に肥後検地の命が下り、冑岩を肥後・筑後の境として建て、これを起点とし肥後の検地が行われた。同じく秀吉の旗下で九州平定に活躍し、筑後柳河8万石を領した立花宗成が、同じ頃に(冑岩に対抗してか?)烏帽子岩を建てた。』となっています。(参考文献は南関紀聞とのこと。)
清正が戦時の冑(兜)に対して、宗成は礼装の烏帽子というのは、宗成の方が後の、九州が平定され秩序が回復してから建てたということを表しているのでしょうか。

実際にこの両石の間を、筑後・肥後の国境(福岡・熊本県境)が走っているのかは調べきれていません。
この両石が両国・両家(時代が下って、柳河はひと回りして立花家・肥後は替わって細川家)間で、国境の印として認識されていたとの記録は今のところ見つけられておらず、伝説・伝承の範囲になりますので国境石とすることはできませんが、一応参考に書き留めておきます。
以下は覚書です。
県境がどこにあるのかをきちんと検討していない(県境杭があるはずですが、この両石間では気がつきませんでした)ので確定的なことはいえませんが、この位置関係では両国域が重なっているような気もします。
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