豊後は
杵築<32,000石>
森<12,500石>
府内<21,000石>
岡<70,000石>
の小藩林立の上、
日田を中心する公領(179ヶ村・69,000石)が点在していたり、
肥後領(直入・大分・海部に63ヶ村・2万石)は加藤家が慶長6(1601)年より、
島原領(豊前・豊後合わせて99ヶ村・27,600石)は寛文9(1669)年に松平(深溝)家が島原入封以降、
延岡領(大分・国東・速見に83ヶ村・20,000石)は正徳2(1712)年に牧野家が延岡入封以降
の各飛び地があり領境が入り組んでいる環境にありました。その割には残っている領境石が少なく、本来はもっとあったのでは?と思ってしまいます。
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