東峰村(小石原)・添田町16〜28


 bP6以降以降は場所を説明するのが困難です。国道500号線から二股山の山頂までの一言で言えば稜線沿いなのですが、営林用の道が幾筋か走
っており、標識もなにもない、アップダウンのある荒れた道です。2024年3月に歩いた時には、測量目印のピンクテープと伐採の目印であろう黄
色テープ(一部ペンキ/一方向だけではないので注意が必要)が、少なくとも二股山までは続いていました。

16
文 字
 筑前)  是 西北 筑 前 領
 豊前) 従 是 東南 豊 前 領

筑前        豊前

 
筑前                                   豊前
場 所
 長谷峠南のピークの上に。
備 考
 長谷峠の欄にも書きましたが、長谷峠の南側斜面は、あきらかに切り通してある急登で、登ることが難しい状況です。bP5とbP6が離れていることから、現在の国道500号上あたりにもう一対の国境石が建っていたとしてもおかしくありません。

以前はうっそうとした林の中に建っていましたが、西側斜面はきれいに伐採され、新たに植樹され養生されています(後ろに写る白い棒状のものがそれです)。


以前の豊前石背景は林
サイズ
筑前)高さ 90×横 28×奥行 21(cm)
豊前)高さ 92×横 22×奥行 18(cm)

17
文 字
 筑前)  是 以下不明
 豊前) 従 是 南 以下不明

豊前                    筑前

 
筑前                                    豊前 
場 所
 
備 考
 前回は切りはらわれた枝の下敷きになっており、3回通ってやっと見つけたのですが、今回はすんなり見つかりました。
サイズ
筑前)高さ 34×横 33×奥行 20(cm)
豊前)高さ 23×横 25×奥行 25(cm)

18
文 字
 筑前)  是 西 筑 前 以下不明 
 豊前) 従 是 東 豊 前 以下不明

豊前            筑前

 
筑前                                豊前
場 所
備 考
サイズ
筑前)高さ 55×横 28×奥行 26(cm)
豊前)高さ 49×横 20×奥行 20(cm)

19
文 字
 筑前)  是 北 筑 前 領 
 豊前) 従 是 南 豊 前 領

豊前    筑前

 
筑前                                   豊前
場 所
備 考
 
サイズ
筑前)高さ 73×横 26×奥行 18(cm)
豊前)高さ 68×横 23×奥行 11(cm)

20
文 字
 筑前)   西北 筑 前 領 
 豊前) 従 是 東南 豊 前 小 倉

筑前          豊前

 
筑前                                        豊前
場 所
備 考
サイズ
筑前)高さ 59×横 29×奥行 21(cm)
豊前)高さ 55×横 23×奥行 18(cm)

20−2
文 字
 筑前) 上部不明 前 領
 豊前) 不明
 
筑前

 
豊前石か?
場 所
 20のすぐ近く。筑前石は川岸の縁に引っかかっています。豊前石と思われるものは、そこから10mほど下流の川中に。
備 考
 2024年2月に訪問した時に、bQ0から先を間違えて別の斜面を登ってしまい、かなり歩いて次の石が見当たらないことから間違えたと気がつきbQ0まで戻り、進むべき方向を見極めるために付近を見渡したところ、川に転落した雰囲気がある石を発見しました。よく見ると川岸にもう一基引っかかっており、これが一対の筑前・豊前国境石であることを認識しました。

bQ1は小川沿いに建っていたと記憶しており、後から考えるとbQ0とbQ1は結構距離が離れているのですが、この時は何の疑いもなくこれがbQ1と思い記録し、その日は道を間違えたこともあり、2月の夕暮れが早い時期でしたので時間的にその奥に入ることは断念しました。

3月に再訪してbQ2以降を探したのですが、現在発見されているここの国境石群はbQ8までですので、残り7対のはずが8対見つかりました(途中からさすがにおかしいなとは思っていました)。

二股山山頂の国境石まで確認して、帰路は小石原村誌のコピーページを手に、一対ずつ再考しながら戻ってきましたが、最終的にこの小川に転落している国境石は、小石原村誌に掲載のない私が未知のものと判断しました。

小川の縁に建てられていたようで(上から流れ落ちて来たものではない)、長い年月の間に頭まで土に埋もれていて見えなかったものが、近年の大雨で斜面が崩れて露呈したようです。もしbQ0から先の道を間違わなければ、bQ0−2(仮にそう呼びます)bQ0と接近していること、川に転落して全景をさらしている豊前石(と思われる)が、加工が少なく自然石に近く気がつきにくいこと、また両石ともが文字面を裏にしていることから、私の目に留まらなかったでしょう。

形状から筑前石と思われる石は、文字面を斜面に向けているのですが、スマホのカメラを差し込み撮影すると「前領」の文字を撮影できました。「前」の「月」の「下ー」が構えからはみ出しており、これは序段に書いたこの地域の筑前国境石の特徴です。

筑前石はギリギリまだ川岸に引っかかっており、今ならば20−2の原位置を示していますが、次に大雨が降って川に転げ落ちればbQ0−2の原位置はわからなくなります。

同じく形状から豊前石と思われるもの(文字面を下にしている模様)は、そこからさらに10mほど下に流されており、次に大雨が来てさらに流されるか埋まるかしてしまえば、行方不明になりそうです。

上に書きましたように、そもそもbQ0と21はかなり離れていましたが、20−2が20のすぐ際で見つかれば、20−2と21の間にさらにもう1〜2対の国境石があってもおかしくはありません。
サイズ
筑前)高さ 100×横 29×奥行 23(cm)
豊前)高さ 110×横 40×奥行 10(cm)                             2024/04/01

21
文 字
 筑前)  (是) ( )内は資料転載
 豊前) (従 是 東南  ( )内は資料転載

筑前          豊前

 
筑前           豊前
場 所
 bQ1はbQ0−2の上流、小川の際になります。
備 考
 bQ1とbQ2の間が急登になっており、私も20年前からは同じだけ歳を取っており、「ここで足を滑らせたら谷底まで落ちるな」と恐怖を感じました。測量目印のピンクテープと伐採の目印であろう黄色テープ(一部ペンキ)がずっと続いています(黄色テープは一方向だけではないので注意が必要)ので、道に迷うことはありませんが結構険しい山道です。
サイズ
筑前)高さ 15×横 30×奥行 27(cm)
豊前)高さ 22×横 17×奥行 7(cm)

22
文 字
 筑前)  是 北 筑 前 領
 豊前) 従 是 南 豊 以下不明

豊前       筑前

 
筑前                                      豊前
場 所
 20年前から筑前石が豊前石に覆いかぶさるように倒れていました。それは今も変わらないのですが、以前の画像を見ると、20年前は木が生えていない草地だったようですが、今は木が生い茂って林の中になっています。

備 考
 撮影環境から、豊前石の画像はスマホのカメラで撮影しています。
サイズ
筑前)高さ 65×横 31×奥行 24(cm)
豊前)高さ 52×横 22×奥行 16(cm)

23
文 字
 筑前)   以下不明 
 豊前) 従 是 南 豊 前 小 倉 領

筑前                 豊前

 
筑前                                   豊前
場 所
 bQ2以降は急登と迫(両側が切り立った尾根)を繰り返します。
備 考
 豊前石は掘り出され横たえられています。
サイズ
筑前)高さ 13×横 26×奥行 20(cm)
豊前)高さ 106×横 21×奥行 19(cm)

24
文 字
 筑前)   西北  以下不明 
 豊前) 従 是  以下不明

豊前                筑前

 
筑前                                       豊前 
場 所
備 考
サイズ
筑前)高さ 35×横 25×奥行 22(cm)
豊前)高さ 16×横 18×奥行 18(cm)

25
文 字
 筑前)   西北 筑 前 領 
 豊前) 従 是 東南 豊 前 小 倉 領

豊前         筑前

 
筑前                                    豊前
場 所
備 考
サイズ
筑前)高さ 76×横 25×奥行 20(cm)
豊前)高さ 75×横 22×奥行 20(cm)

26
文 字
 筑前)   西北 筑 前 領 
 豊前) 従 是 東南 豊 前 小 倉 領

豊前(木の根の間)      (奥は無銘の自然石)            筑前

 
 筑前                                          豊前
場 所
備 考
豊前石は20年前に比べて木の根がまとわりついています。

 20年前の豊前石
サイズ
筑前)高さ 99×横 28×奥行 25(cm)
豊前)高さ 103×横 22×奥行 15(cm)

27
文 字
 筑前)  是 北 筑 前 領 
 豊前) 従 是 南 豊 前 小 倉 領

筑前     豊前

 
 筑前                                          豊前
場 所
備 考
 筑前石には大きな矢跡が見えます。
サイズ
筑前)高さ 75×横 33×奥行 23(cm)
豊前)高さ 68×横 22×奥行 9(cm)

28
文 字
 筑前)  是 北 筑 前 領  
 豊前) 従 是 南 豊 前 小 倉 領

筑前        豊前

 
筑前                              豊前
場 所
 二股山山頂。現地に手書きで掲げられたプレートには「二股岳北峰 641m」と書かれていました。地理院地図で見たこのピークになると思われます(南の653m地点が二股岳南峰)。



筑前國續風土記の国境の小名では「二また峠」、天保の筑前国絵図には「二俣山」として、筑前郡絵図上座郡には「二俣(人偏に口の下が又)峠」として記載があります。南峰は添田町(豊前国)域になりますので、国境の小名である二また峠(二俣山)は北峰のことです。
備 考
 また小石原村誌には二股山山頂に三角点があるとされており、実際それらしきものがあったのですが、国土地理院基準点成果等閲覧サービスで検索しても該当がありません。

 奥はbQ8
サイズ
筑前)高さ 66×横 29×奥行 25(cm)
豊前)高さ 57×横 24×奥行 15(cm)

 この地域の国境石群は、筑前が花崗岩・豊前が凝灰岩で統一されています。当然現地ではそんなに都合よく調達出来ませんので、それぞれがどこかに集積して加工し、方角以外の文字を彫りこんで曳いてきたのでしょう。

 現地で建てる時になって、双方で方角を確認して彫りこんだため、「西北」・「東南」等の八方位のものは、一文字分のスペースに小さく横書きになっていると考えます。二文字分空けて作ると、四方位の時に上下にすき間が空き、後の時代に変造の余地を残すので、一文字分しか空けずに作り、八方位となった時には横書きにすると、始めから話し合われていたと想像します。

 身一つで登ってもきつい斜面を、人力だけで引っ張り上げるのは大変な作業だったことでしょう。

 筑前國續風土記拾遺には小石原村に、「代官、下代が各一員いて、駅家並びに疆場(国境)のことをになえしめらる」となっており、宿駅と国境の管理をつかさどる代官が常駐したようです。小石原村誌及び角川地名辞典の小石原村(近世)欄には「境目奉行が置かれていた」となっています。

 以下は国境石とは直接関係がありませんが、私の覚書として。

 筑前国郡絵図 上座郡の小石原村を見ますと、奥畑塔瀬の二つの枝村が見えます。筑前國續風土記には「塔ノ瀬というところあり。石の塔あり。鎮西八郎為朝が母のために建てた塔。」という源為朝伝説が語られています(小石原より塔瀬まで一里)。

 同じく續風土記には「中野という枝村があり、天和2(1682)年に伊万里より陶工を呼んで陶器を作り、これを中野焼という。」とされています。續風土記の小石原村は「上座下座および西南の近国より上方への通路」と交通の要所として、また「木杓子を作りて売る」とされています。筑前国續風土記拾遺には「中野皿山」とされており、中野は現在の皿山です。私は平成の合併前の小石原村全体が陶芸の村というイメージでしたが、確かに窯元は皿山に集中しています。

 引き続き續風土記には「小石原村から国境を経て彦(英彦)山への道があり、その下の谷を長谷という。秋冬は紅葉多きところなり。長谷の紅葉、彦山十景の一つなり。」と、国外及び黒田領外のことながら、長谷の紅葉は記すべきことだったようです。

 なお、拾遺には「古来の蕪田原が慶長の郷村帳には腰原と見え、元和4(1618)年の田記より小石原となる」とされています。同じく拾遺には民居として「及び奥畑 柿屋ヵ原 立隠(立ヶ隠<くら>) 中野皿山 南ノ原 塔ノ瀬 百丁原などにあり」とされていますが、その字が今もほぼ残っています。(地理院地図に見えるが、柿屋ヵ原・百丁原のどちらかかと思い小石原村誌を捲ってみましたが、該当の記述は見つけられませんでした。)
2024/04/01 

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