久留米・筑前国境

乙隈国境石 (先代の石)
文 字
  是 南 筑 後 領 
 
場 所
乙隈の国境石の先代の石です。今は小郡高校の裏、小郡市埋蔵文化財調査センターの入口にあります。
備 考
この石は元々乙隈の国境石でしたが、筑前側(筑紫野市馬市)より小さかったため、藩の威信にかかわると現在も残る国境石に差し替えられたそうです。
サイズ゙
高さ 200×横 30×奥行 30(cm)


高食(太刀洗町)
文 字
従 是 南 筑 後 以下不明 
 
場 所
大刀洗町高食(こうじき)の若宮八幡宮内にあります。
備 考
太刀洗・甘木のもやいの国境石とは違って、白鳥の国境石と同タイプです。
(高食と甘木市白鳥は国境を挟んで隣り合う)
この地域には、この石と対となるべき筑前の石も含めてこのタイプの国境石がいくつかあったのでしょうね。 周辺地図へのリンク
サイズ
高さ 88×横 36×奥行き 22(cm)

うきは市(吉井)

 吉井町(2005/03/20よりうきは市)に現存する国境石は、全て昭和28年の大水害の後とスポーツアイランド造成時に、現スポーツアイランドの敷地から掘り出されたものだそうです。スポーツアイランドはその名の通り筑後川の中洲に作られており、洪水で流された国境石がちょうどこの地で堆積していったものと推測されます。

 スポーツアイランド付近

 したがってこれらの国境石は元々どこにあったのか(スポーツアイランドより上流であることは確実ですが)不明ですし、年代も確定できません(年代はばらばらのはずです)。

 吉井町(現 うきは市)とその周辺の石については吉井町郷土史会の方に大変お世話になりました。


 2009年正月に再訪したところ、千年小学校の国境石2基が公民館の前庭に移設されていました。写真を撮り直して来ましたので、現在公民館にある6基についてはは全面的に書き換えをいたしました。 

 うきは市吉井の石のうち筑前石はこちらのページにあります。(2009/01/10)

 
現在は公民館前に6基が揃う                   6基のうち1基は銘文不明の石

 現在うきは市吉井町に現存する国境石のうち、「從(従)是+方角+国名」が読み取れるのは、筑前3基(公民館2基・民家1基)と筑後2基(公民館1基・民家1基)ですが、全てが筑前「從」・筑後「従」で統一されています。(公民館2は「筑後領」のみが判読可能、公民館3は「従是西」のみが判読可能。)

筑前石は全て「」   
                公民館1               公民館5               民家1

筑後石は全て「」   
               公民館4               民家2

この地域の国境争いについてはこちらに。

公民館 2
文 字
 (上部不明) 筑 後 領
 
場 所
備 考
サイズ゙
高さ 84×横 33×奥行 29(cm)

公民館 3
文 字
  是 西
 
場 所
この石は「西」以降が地中に潜っており「筑前」「筑後」が読めませんが、上記のようにこの地域の国境石は筑前=從・筑後=従で統一されていることから、この石が筑後石であることは間違いありません。
備 考
サイズ゙
高さ 73×横 36×奥行 23(cm)

公民館 4
文 字
  是 南西 筑 後 領 
 筑後筑前の国境石で現浮羽郡吉井町大字千年 字丹通の東方に、二本とも同所に建てられていたものである。
 別の石に文化十二年乙亥三月(百五十年前)と記されていた。

 横に彫られている案内文です。文化15年は1815年です。
 
場 所
千年小学校から移設されてきた石です。並び立つ筑前石はこちらに。
備 考
サイズ゙
高さ 142×横 42×奥行 43(cm)

千年の民家(筑後石)
文 字
  是 南 筑 後 領
 
2015/05/16画像追加

場 所
うきは市吉井千年の民家。この石の隣家にある筑前石と控石(筑前石か筑後石かは不明)はこちらに。
備 考
2015/05/16
画像及びサイズのデータを追加しています。
サイズ゙
高さ 105×横 31.5×奥行 30(cm)

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