筑前国内の郡境石
☆
御笠・夜須郡
御笠郡
穂波郡
鞍手郡
穂波・嘉麻郡
夜須・下座郡
粕屋表郡
那珂・御笠郡
遠賀・宗像郡
御笠・夜須郡境石
文 字
西 御 笠 郡
従 是
東 夜 須 郡
場 所
筑紫野市天山(あまやま)・筑前町ニ(ふた)の間の
郡境石
です。国道386号線より一本北の旧道沿いです。
備 考
この画像だけは私が下手なわけでなく、石自体が傾いています。
御笠郡境石
文 字
從
是 西 御 笠 郡
場 所
旧冷水峠の頂、大根地神社の入口に穂波郡境石と並んで建っています。
備 考
穂波郡境石
文 字
從
是 東 穂 波 郡
御笠郡境石と大根地神社敷地標
場 所
旧冷水峠の頂、大根地神社の入口に揃ってあります。
備 考
大根地神社敷地標は明治43年建立です。
鞍手郡境石
文 字
表)従 是 北 鞍 手 郡
右横)勝 野 村
場 所
国道200号線の一本西側の旧道(長崎街道)の小竹町(鞍手郡)と飯塚市(旧穂波郡)の間です。
備 考
文字が東を向いて建っていますので移設かもしれません。
サイズ
高さ 125×横 22.5×奥行 22.5(cm)
穂波・嘉麻郡境石
文 字
従 是 北 穂 波 郡
従 是 南 嘉 麻 郡
場 所
現在は飯塚市の歴史資料館前庭にあります。元あった詳しい場所は解りませんが、嘉麻=南・穂波=北と言うのは特殊
な位置関係です。(本来東西)
(元々建っていた場所は飯塚市史等に載っているそうなのですが)
備 考
飯塚市も市中に穂波・嘉麻の郡境が走っていました。
サイズ
未計測 高さ ×横 ×奥行 (cm)
夜須・下座郡境石
文 字
従 是 北 夜 須 郡
従 是 南 下 座 郡
場 所
現在の朝倉市水町近辺にあったとされています。現在は甘木歴史資料館の前庭にあります。
備 考
文字が風化して読むことが出来ませんが、甘木歴史資料館にお尋ねしたところ、資料に上記のようにあると教えていただ
きました。
旧甘木市周辺は秋月藩(福岡藩支藩)の領地になりますが、旧甘木市中心部だけは、最初飛び地として、その後「御内
証替」にてU字形に秋月藩に食い込むように、福岡藩の領地でした。交通の要所を本藩が押さえていたと言う事でしょう。
御内証替
寛永13年(1636年)甘木の飛び地を解消するために、幕府に届けずに福岡藩と秋月藩の間で領地の付替えをする。無届
状態は幕末まで続いた。
粕屋表郡境石
文 字
従 是 東 表 粕 屋 郡
左横) 文久元年辛酉九月再建
場 所
旧唐津街道(現県道21号)、箱崎1丁目と馬出5丁目の間です。
備 考
那珂郡と表糟屋郡の境になります。文久元年は1861年。
昭和15年まではここが市郡境でした
。(私のサブページ、
九
州電力の契約章に見る福岡市の地名
へのリンクです。)
2021/04/01追記
筑前國續風土記の多々良川の欄に「
表
糟屋郡中の水はみなこの(多々良)川に入る。
裏
糟屋郡の水は一流も入ら
ず。」と書かれており、表糟屋郡は多々良川水系の村が属するようです。
ついでにその村を列挙しますと、
表糟屋郡
福岡市東区の内、箱崎村 原田村 蒲田村 部木村(蒲田村の内) 名子村 八田村 津屋村 多田羅村 須崎村(多
田羅村の内) 松崎村 今屋敷村(松崎村の内) 名島村、及び現在の糟屋郡粕屋町・志免町・宇美町・須恵町・篠栗
町・久山町域に属する村。
裏糟屋郡
福岡市東区の内、濱男(はまと)村 香椎村 長谷村(香椎村の内) 下原村 唐原村 秋山町(下原村の内) 下村(唐
原村の内) 三苫村 奈多村、及び現在の糟屋郡新宮町・古賀市域に属する村。
ただし、香椎村の内 長谷(ながたに)村は現在は長谷ダムの底に沈んでいますが、筑前國續風土記拾遺の香椎村欄
に「長谷の渓水 立花の古城山より出、(中略)表糟屋郡名古(名子)村に入る」と記されており、長谷村は長谷川を経
て猪野川へ流れる多々良川水系です。
サイズ゙
高さ 118×横 26×奥行 18(cm)
那珂・御笠郡境石
文 字
西 那珂郡
従是
東 御笠郡
右)井相田村抱
左)筒井村抱
裏)文化丁丑歳四月
筒井村抱 井相田村抱
場 所
旧国道3号(現県道112号線)線大野城市雑餉隈3丁目と錦町1丁目の境にあった郡境石で、現在は現地にレプリカが置
かれています。
本物は、大野城市役所別館3階の
歴史資料展示室
に置かれています。
備 考
文化丁丑は文化14年=1817年。大野城市指定有形文化財。
大野城市教育委員会の許可を得て撮影しています。
大教文第678号1
サイズ
高さ 118×横 29×奥行き 26.5(cm) 花崗岩 サイズは資料転載
遠賀・宗像郡境石
文 字
東 遠賀郡
従 是
西 宗像郡
場 所
県道495号 垂見峠
備 考
竿石と基礎のサイズ(高さ)が若干合っていません。移設なのかもしれません。この峠に郡境石と並ぶ2体のお地蔵様
の内、向かって右のお地蔵様には首がありません。江戸時代にこの峠道を歩く人たちを見守り続け、明治の廃仏毀釈
でその首を落とされたのでしょう。
若松〜芦屋〜赤間を結んだ若松街道ともずれていますが、池田(宗像市)あたりには大正12年の道標も残っており、
この道が主要道の一つであったことがうかがえます。
赤間 田島 東郷 神湊 道
をんが道 (大正12年)
サイズ゙
高さ 202.5×横 35.5×奥行 31(cm) 花崗岩
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筑前国内の村境石