筑前国内の郡境石

御笠・夜須郡 御笠郡 穂波郡 鞍手郡 穂波・嘉麻郡 夜須・下座郡 粕屋表郡 那珂・御笠郡 遠賀・宗像郡

御笠・夜須郡境石
文 字
      西 御 笠 郡
従 是
      東 夜 須 郡
 
場 所
筑紫野市天山(あまやま)・筑前町ニ(ふた)の間の郡境石です。国道386号線より一本北の旧道沿いです。
備 考
この画像だけは私が下手なわけでなく、石自体が傾いています。

御笠郡境石
文 字
 是 西 御 笠 郡 
   
    
場 所
旧冷水峠の頂、大根地神社の入口に穂波郡境石と並んで建っています。
備 考

穂波郡境石
文 字
 是 東 穂 波 郡
        
    御笠郡境石と大根地神社敷地標             
場 所
旧冷水峠の頂、大根地神社の入口に揃ってあります。
備 考
大根地神社敷地標は明治43年建立です。

鞍手郡境石
文 字
  表)従 是 北 鞍 手 郡 
右横)勝 野 村
 
場 所
国道200号線の一本西側の旧道(長崎街道)の小竹町(鞍手郡)と飯塚市(旧穂波郡)の間です。
備 考
文字が東を向いて建っていますので移設かもしれません。
サイズ
高さ 125×横 22.5×奥行 22.5(cm)

穂波・嘉麻郡境石
文 字
従 是 北     穂 波 郡
従 是 南     嘉 麻 郡
 
場 所
現在は飯塚市の歴史資料館前庭にあります。元あった詳しい場所は解りませんが、嘉麻=南・穂波=北と言うのは特殊な位置関係です。(本来東西)
(元々建っていた場所は飯塚市史等に載っているそうなのですが)
備 考
飯塚市も市中に穂波・嘉麻の郡境が走っていました。
サイズ
未計測  高さ ×横 ×奥行 (cm)

夜須・下座郡境石
文 字
従 是 北 夜 須 郡
従 是 南 下 座 郡
 
場 所
現在の朝倉市水町近辺にあったとされています。現在は甘木歴史資料館の前庭にあります。
備 考
文字が風化して読むことが出来ませんが、甘木歴史資料館にお尋ねしたところ、資料に上記のようにあると教えていただきました。

旧甘木市周辺は秋月藩(福岡藩支藩)の領地になりますが、旧甘木市中心部だけは、最初飛び地として、その後「御内証替」にてU字形に秋月藩に食い込むように、福岡藩の領地でした。交通の要所を本藩が押さえていたと言う事でしょう。
御内証替
寛永13年(1636年)甘木の飛び地を解消するために、幕府に届けずに福岡藩と秋月藩の間で領地の付替えをする。無届状態は幕末まで続いた。

粕屋表郡境石
文 字
 従 是 東 表 粕 屋 郡 
左横) 文久元年辛酉九月再建
 

 
場 所
旧唐津街道(現県道21号)、箱崎1丁目と馬出5丁目の間です。
備 考
那珂郡と表糟屋郡の境になります。文久元年は1861年。昭和15年まではここが市郡境でした。(私のサブページ、州電力の契約章に見る福岡市の地名へのリンクです。)

2021/04/01追記
筑前國續風土記の多々良川の欄に「糟屋郡中の水はみなこの(多々良)川に入る。糟屋郡の水は一流も入らず。」と書かれており、表糟屋郡は多々良川水系の村が属するようです。

ついでにその村を列挙しますと、

表糟屋郡 

福岡市東区の内、箱崎村 原田村 蒲田村 部木村(蒲田村の内) 名子村 八田村 津屋村 多田羅村 須崎村(多田羅村の内) 松崎村 今屋敷村(松崎村の内) 名島村、及び現在の糟屋郡粕屋町・志免町・宇美町・須恵町・篠栗町・久山町域に属する村。

裏糟屋郡

福岡市東区の内、濱男(はまと)村 香椎村 長谷村(香椎村の内) 下原村 唐原村 秋山町(下原村の内) 下村(唐原村の内) 三苫村 奈多村、及び現在の糟屋郡新宮町・古賀市域に属する村。

ただし、香椎村の内 長谷(ながたに)村は現在は長谷ダムの底に沈んでいますが、筑前國續風土記拾遺の香椎村欄に「長谷の渓水 立花の古城山より出、(中略)表糟屋郡名古(名子)村に入る」と記されており、長谷村は長谷川を経て猪野川へ流れる多々良川水系です。
サイズ゙
高さ 118×横 26×奥行 18(cm)

那珂・御笠郡境石
文 字
    西 那珂郡
従是
    東 御笠郡 
右)井相田村抱
左)筒井村抱
裏)文化丁丑歳四月
  
 
筒井村抱                       井相田村抱
場 所
旧国道3号(現県道112号線)線大野城市雑餉隈3丁目と錦町1丁目の境にあった郡境石で、現在は現地にレプリカが置かれています。

本物は、大野城市役所別館3階の歴史資料展示室に置かれています。
備 考
文化丁丑は文化14年=1817年。大野城市指定有形文化財。
大野城市教育委員会の許可を得て撮影しています。大教文第678号1
サイズ
高さ 118×横 29×奥行き 26.5(cm) 花崗岩 サイズは資料転載

遠賀・宗像郡境石
文 字
       東 遠賀郡
 従 是
       西 宗像郡

 



場 所
県道495号 垂見峠
備 考
竿石と基礎のサイズ(高さ)が若干合っていません。移設なのかもしれません。この峠に郡境石と並ぶ2体のお地蔵様の内、向かって右のお地蔵様には首がありません。江戸時代にこの峠道を歩く人たちを見守り続け、明治の廃仏毀釈でその首を落とされたのでしょう。

若松〜芦屋〜赤間を結んだ若松街道ともずれていますが、池田(宗像市)あたりには大正12年の道標も残っており、この道が主要道の一つであったことがうかがえます。
赤間 田島 東郷 神湊 道  をんが道  (大正12年)
サイズ゙
高さ 202.5×横 35.5×奥行 31(cm) 花崗岩

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筑前国内の村境石
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