筑前国内の村境石

岩屋村・柏原村(浦)  古毛村  多久・神在  長野・飯原

岩屋・柏原浦境石
文 字
 従 是 東 岩 屋 浦 抱
 従 是 西 柏 原 浦 抱
  2015/06/13画像追加

 
場 所
現芦屋町夏井ヶ浜に建っていたそうです。現在は、北九州市立いのちのたび博物館の前庭にあります。
備 考
村境石のくくりにいたしましたが、正確には案内板にあるとおり「村抱」ではなく「浦抱」ですので「漁場(海岸)境」のようです。

2015/06/13 画像及びサイズデータを追記。浦田・柏原「村」境石としていましたが、浦境石に改めます。
サイズ゙
高さ 80×横 26×奥行 25(cm)


 古毛村控石について

 古毛村控え石は、2つの石を一つの項にまとめていましたが、現在この両石は筑前(朝倉市古毛)と筑後(うきは市)に分かれて建っていますので、別々の項に分けます。



 地図を見ていただくのが一番わかりやすいのですが、現代の地図では、筑前(本来は筑後川の北)の古毛と山田が、川を渡り筑後(筑後川南)に張り出しているのがわかります。古毛村控石2は、この筑前古毛が川南に張り出しした部分の、筑後高田村との境に建っていたと思われます。この上流(東)でも志波が、さらには古毛の下流(西)では上寺が筑後側の川南に張り出しています。

 一方、古毛と上寺の間では、筑後(本来は筑後川の南)の江南が、川を渡って北の筑前に張り出しています。この筑後側江南<高田>が川北に張り出した部分の、筑前古毛との境に古毛村控石1が建っていたと思われます。

 現在の市境がいつ確定したものかはわかりませんが、千歳川(筑後川)は氾濫を繰り返し、そのたびに流れを変え、両国(村)の境を複雑にして行き、その結果、国境石やその控え石、そして村境石が朝倉・うきは両市にたくさん現存しているのでしょう。
2015/06/13
 

古毛村(こも) (朝倉市古毛)
文 字
 古 毛 村 控 (以下不明)
 
2015/06/13 画像を追加                     
場 所
現在は古毛の公民館に。元の設置場所は不明ですが、現在ある場所を見ると、この石は筑後側(うきは市吉井町江南)が川の北(筑前側)に張り出している境に建っていたのかもしれません。
備 考
2015/06/13 追記及びサイズデータの追加
この石の文字を「古毛村控」としていましたが、もう一基の古毛村控石のように、この石も地中部に「石」があろうと推測されますので、「古毛村控 (以下不明)」に改めます。
サイズ゙
高さ 90×横 36×奥行 20(cm)

古毛村控石2(川南の筑後側に現存)
文 字
 古 毛 村 控 石
 
2015/06/13 画像を追加

場 所
現在はうきは市吉井町江南(筑後川南側)の民家玄関先に建っています。この石も元建っていた場所は不明ですが、
こちらは現在川の南側にあることから、上の石とは逆に、古毛が川の南の筑後側に張り出した場所と江南(高田)の境に建っていたのかもしれません。(文章の一部を2015/06/13加筆しています。)
備 考
2015/06/13 データの追加・文章の加筆
サイズ゙
高さ 80×横 33×奥行 30(cm)

多久(福岡領)・神在(中津領)
 

 この稿は2005/06/13に全面的に書き換えています。

 多久村(福岡領)と神在村(中津領)の村境石です。村境石と言っても両村は領境でしたので、実質は領境石になります。

 神在側の文字は「従」「神」の石と「從」「~」の石が混在しており筆跡もそれぞれ違います。多久側はbVのみが「従」でその他6基は「從」なのですが、何故bVのみが「従」なのかはよく分かりません。石の上に付いている「+」は彫りの浅さからいっても後の時代の
ものなのかも知れません。

 当初、ここには10基以上の石があるのではという情報でしたが、bPに「此石ヨリ七番石迄」の文字がありますので、これ(7基)で全部と判断しました。

この地域の略図 

bV
文 字
 上)+ 
多久)従是東北多
神在)従是西神在村
 横)文政十二年丑四月
  
 
多久(福岡領)                   神在(中津領)
場 所
宮地岳の北斜面、多久と神在の境です。この石は田んぼの横にありますが、この先宮地岳の山中になります。
備 考
文政12年=1829年。
サイズ
高さ 72×横 38×奥行 30(cm)

bU
文 字
 上)+ 
多久)是東
神在)是西


  
多久(福岡領)                   神在(中津領)
場 所
備 考
サイズ
高さ 50×横 30×奥行 27(cm)

bT
文 字
 上)+ 
多久)是東多
神在)是西南~在村


 
多久(福岡領)                   神在(中津領)
場 所
備 考
神在側を「從」としていますが、「一」が一本多いんですよね。単なる間違いでしょうか?取り合えずこの文字は私のパソコンでは出せない文字です。 

bQの神在側の文字も同じ筆跡で同じ「從」の文字です。また、同じように「~」と記されています。

以下、2019/06/01追記です。



間違いなんて書いて申し訳ありません。岡山県新見市 二本松峠の備中国国境石で同じ文字を見つけました。こちら(哲多郡大竹村)は公領に建てられた国境石ですから、文字もきちんと考査されているでしょう。また街道上に建っていましたから、多くの人目に触れて来たものです。どうやら異字体としてこの文字もあったようです。 

サイズ
高さ 76×横 30×奥行 26(cm)

bS
文 字
 上)+  
多久)是東北多
神在)従是西神在村


 
多久(福岡領)                   神在(中津領)
場 所
備 考
サイズ
高さ 77×横 36×奥行 33(cm)

bR
文 字
 上)+ 
多久)是東
神在)従是西北神在村
 
 
多久(福岡領)                   神在(中津領)
場 所
備 考
サイズ
高さ 82×横 36×奥行 32(cm)

bQ
文 字
 上)+ 
多久)是東南多久
神在)是西北~在村抱
 
                                       ↑神在村「抱」
 
多久(福岡領)                   神在(中津領) 
場 所
備 考
この石が一番地表に出ている部分が多いのですが、
神在村の下に「抱」の字が見えます。全ての石の文字に「抱」の字があるのかも知れません。
サイズ
高さ 100×横 30×奥行 27(cm)

bP
文 字
 上)+  
多久)是東南多久村抱
神在)従是西北
横)此石ヨリ七番石迄
    文政十二年丑四月建立
 
 
場 所
備 考
山の中腹に1番石があります。地形的にそれほど複雑な場所ではないので、なぜここから下に向かい境石を建てなければいけなかったのかが私にはよく分かりません。 
サイズ
高さ 152×横 30×奥行 29(cm)


長野・飯原


 雷山・高野・筒原(筑前 福岡領)と飯原・長野(中津領)の領境石を探すために領境の終点を見つけようと雷山〜長野峠の稜線(筑前・肥前境)を歩いていたのですが、なぜかこの境石を見つけてしまいました。


2005/12/17
この石の詳細がわかりました。嵯峨里のSさんによると、この石は昭和初期に長野と飯原(ともに当時は長糸村)の地域境として建てられたそうです。文字を書かれた人はわかっており、石工も該当2人に絞られるそうです。文字を書かれた方が「私の文字が未来に残るのか」と喜ばれていたということを教えていただきました。近代のものですので私のHPの趣旨からは外れますが、参考のためにここに残します。


文 字
  長
    境
  飯  
 
場 所
福岡・佐賀県境 雷山山頂と長野峠を結ぶ稜線上の中間ほどか?
備 考
サイズ゙
高さ 78×横 70×奥行 40(cm) 
<文字面加工部分 縦40×横25(cm)> 花崗岩の自然根付石                     2005/09/03

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