まずは西の但馬境から見ていきますが、丹波国と但馬国・播磨国は三国嶽(三国岳)を国境とするとされています。現在の丹波市(丹
波国)・朝来市(但馬国)・多可郡多可町(播磨国)の兵庫県内市境が国境となります。そこから北へ見ていきますと、
〇三国岳のすぐ北に、氷上郡大名草(おなざ)村(柏原<かいばら>領/丹波市青垣町大名草)と朝来郡黒川村(公料/朝来市生野町
黒川)を結ぶ 鳥峠。
天保の丹波国絵図には峠の小名はありません。元禄の丹波国絵図では達筆な文字で書かれていますが、いちおう「鳥」と読みまし
た。平凡社日本歴史地名体系(兵庫県:朝来郡>青垣町>大名草)では、大名草村と与布土(ようど)村を結ぶ「鳥(とり)峠」と、大名草
村と黒川村を結ぶ「生野峠」が挙げられています。たぶんこの両者が言う鳥峠は同じものでしょう。
岡山大学の池田家文庫 絵図公開データベースから、但馬国大絵図(天明7<1787>年)で見ると「佐波路峠」とされています。一
方、但馬国絵図には峠名は書かれておらず、「雪降り積もれば、牛馬通わず」とされています。また、雲頂山大明寺(生野町黒川本村)
も描かれています。それらの位置関係から、国道429号青垣峠が該当しますでしょうか。
〇氷上郡大稗(おびえ)村(上総鶴牧領/青垣町大稗)村と朝来郡与布土村(公料/朝来市山東町与布土)を結ぶ かい峠。
丹波国絵図では小名は記されておらず「難所 牛馬通わず」とされています。府道276号・県道576号が該当しそうですが、現在は
連続しているように見えません。
〇「をう志``(じ)やく山」でしょうか、これまた達筆な字で書かれています。
西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベースから 丹波国絵図(元禄17<1704>年)で見ると、「ヲウシヤク山」とされています。「但馬
国にては朝来山と申し候」となっていますが、現在は朝来市内の別の山が朝来山とされています。但馬国絵図で見ると、朝来郡栗鹿
(あわが)村(公料/山東町粟鹿)の東に朝来山が描かれていますので、現在の栗鹿山を指すでしょう。
〇氷上郡遠坂村(柏原領/青垣町遠阪)と朝来郡柴村(公料/山東町柴)を結ぶ 佐治山峠(丹波国絵図)/遠坂峠(但馬国絵図)。
丹波国絵図は達筆で読みづらかったので、元禄の丹波国絵図で確認しています。現在の国道427号線遠阪峠です。
江戸時代の村は「遠坂」・現在の町は「遠阪」ですが、角川地名大辞典 兵庫県青垣町 遠阪で見ると「谷全体を指す時は遠阪で、そ
の奥の集落を指す時が遠坂」とされています。
佐治山(遠阪)峠のすぐ北で丹波国側は郡境となり、天田郡小倉(おぐら)村(福知山領、以下同/福知山市夜久野町小倉)となりま
す。但馬国側は引き続き朝来郡柴村域ですから、ここからしばらくは府県境が国境となります。
〇小倉村と朝来郡金浦(このうら)村(丹波篠山領/山東町金浦)の間に「二国嶽」が見えます。該当するのは小倉富士しかないと思う
のですが、小倉富士を二国岳と言うという記述は見つけられません。
〇小倉村と朝来郡野間村(公料/朝来市山東町野間)を結ぶ山陰街道(山陰道)が描かれ、丹波国絵図・但馬国絵図いずれも、「この
ところ、平地で国境杭あり」、その北に「このところ、野原で国境三ツ石あり」とされています。但馬国大絵図ではこの地の小名は「野方
越」とされています。
この国境杭は山陰街道 夜久野町小倉の「丹波国福知山領」境石が該当します。
三ツ石に関しては、丹波志(寛政6<1794>年)には「このところを(に)、三ツ立石という石あり。三ツ立石から(後述の)牛ノ尾峠まで
は山の峰が国境である。」旨が記されていますので、三ツ石は宝山への山際に近いところにあったのではないかと思いますが、Web検
索では該当のものは引っ掛かりません。
また、但馬国絵図では山陰街道(山陰道)は「雪が降り積もっても牛馬が通える」とされています。但馬側国境の金浦村の鎮守は二
国神社ですが、角川地名大辞典 兵庫県山東町 金浦村(近世)には、丹波国側にも氏子がいたので「二国という」となっています。丹
波志では「二国神社は国境ギリギリにあり、国境確定の起点」とされていましたが、同神社は最近遷座しています。
取材時にはこのあたりをレンタカーで走りましたが、ナビが細かく「兵庫県に入りました」「京都府に入りました」と教えてくれました。
但馬国は養父郡に変わります。国境の村としては養父郡竹之内村(公料/朝来市和田山町竹ノ内)や同郡竹之内村の内 内海(各
資料では竹之内村に含まれる/同内海)が見えます。地理院地図で見た該当地域。
〇両国絵図とも鉄鈷(かなとこ)山が描かれています。
鉄鈷山を経て国境が南北になりますが、但馬国はまた郡が変わり、出石郡となります。
〇床尾嶽(但馬国絵図)。但馬国内となるため、但馬国絵図にのみ養父郡と出石郡の境に描かれています。東床尾山と西床尾山の2
座があるようです。
〇天田郡板生(いとう)村の内 今西村(福知山市夜久野町板生今西)と出石郡天谷村(出石領、以下同/豊岡市但東町天谷)を結ぶ
牛尾峠。
天保の丹波国絵図は状態が悪くて「牛」と「峠」しか見えません。元禄の丹波国絵図で見ると「牛尾峠」、丹波志では「牛ノ尾峠」とされ
ています。
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今西バス停は夜久野町板生1339−1先に
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現在の府道・県道56号線天谷峠です。ここにも2006年頃に地中に埋められていたものが道路工事中に偶然見つかり、再設置され
た丹波国福知山領の国境石が建っています。両国絵図にはここに国境石が建っていた記録はありません。しかし、丹波志(寛政6<17
94>年)の板生村欄には「板生村の内今西より但馬国天谷村迄三十二丁二十間 牛馬道。ただし牛ノ尾峠国境杭まで十三丁二十
間。国境牛ノ尾峠峯強(境)、左右山並尾続峯強(境)、道境牛ノ尾峠峯に杭あり。」と国境杭(石)について記載があります。
但馬国絵図には峠名はなく「難所」とされているのみですが、岡山大学池田文庫但馬国大絵図では天谷峠となっています。西尾市岩
瀬文庫丹波国絵図では、牛尾峠と直見峠が入れ替わってしまっています。300年後に間違いを指摘されるとは思ってもいなかったこと
でしょう。
〇天田郡直見村の内 才谷村(福知山市夜久野町直見才谷)と出石郡小坂村(豊岡市但東町小坂)を結ぶ 直見峠。
但馬国絵図には峠名はなく「難所」とされていますが、池田文庫但馬国大絵図では「小坂峠」となっています。現在の府道・県道63号
小坂峠です。この峠を久畑側から直見へ車で抜けましたが、兵庫県側のカーブはまさに難所でした。
〇天田郡上佐々木村(上総飯野領/福知山市上佐々木)と出石郡久畑市場村(豊岡市但東町久畑)を結ぶ上り尾峠。
国道426号登尾峠の旧道。但馬国絵図には上り尾峠も「この坂、雪が降リ積もれば牛馬通わず」とされています。
丹波志の佐々木村欄には「佐々木村より但馬国久畑市場村まで一里拾四丁三十間牛馬道。ただし上ノ尾峠の国境迄二十四丁四十
間。国境は上ヶ尾峠峯強(境)、左右山並尾続峯強(境)、三国嶽峯強(境)、道境は上ヶ尾峠に杭あり」とされています。
上ノ尾峠・上ヶ尾峠はいずれも登尾峠を指すと思われ、平凡社日本歴史地名体系 京都府:福知山市 上佐々木村には「(登尾峠
の)頂上には、『従是西出石領』という石柱が建っていた』とされており、ここには出石領の領境石が建っていたようです。
登尾峠は、京から出石に向かう特に重要な峠で、久畑市場には出石藩関所もあり、出石が領境石を建てるならばまず登尾峠でしょう
が、登尾峠に領境石が建っていたならば、先述の天谷峠・小坂峠、そして丹後との間の峠にも領境石が建っていた可能性があります。
〇三国嶽(三国山)が丹波・但馬・丹後の三国境となります。
余計なことですが、桂小五郎は蛤御門の変の後、一時は出石に身を隠し結婚までしていますが、京から逃れるときに久畑市場の出
石関所で捕まりそうになったという逸話が残っており、幕末好きとしては胸熱くなる地名です。
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