文 字
|
筑前表) 從 是 北 筑 前 國
|
筑前横) 怡 土 郡 飯 場 村 抱 |
筑前裏) 文化十五年戊寅四月建立 |
肥前表) 從 是 南 肥 前 國 |
肥前横) 神 崎 郡 三 瀬 山 村 |
肥前裏) 文化十五戊寅歳四月建立 |


肥前横銘 筑前横銘

国境石の向にある馬頭観音
|
場 所
|
福岡市早良区と佐賀市の間、三瀬峠(旧道)の頂に車道のすぐそばにありま
す。
場所がわかりにくいとご指摘がありましたので追記します。
旧三瀬峠の頂上(福岡側から来ると右手)の小高い丘の上に鎮座しています。
左手(三瀬山・金山縦走口)に馬頭観音がありますが、その車道挟んだ福岡寄
りです。
|
備 考
|
文化15年は1818年です。現在は三瀬トンネルが出来て、この道はさびれてしま
っていますが、佐賀県側には「三瀬宿」という地名も残っていますので、立派な
街道だったのでしょう。
福岡側石筆者についてはこちらに。
当ホームページに掲載する福岡市内にある唯一の国境石です。
(現在は脊振山の国境石も掲載していますが脊振の石は福岡市と境を接する
肥前側の石のようです。)
2022/03/01追記
筑前國續風土記拾遺の怡土郡 飯場(いいば)村(早良区飯場)欄に、この国
境石についての記載がありました。
「(飯場村は)肥前国神崎郡三瀬宿に通路す。この間杖立嶺(三瀬峠)を以って
筑前の境とす。国境小名四所あり。杖立嶺文政元年十一月彊石新たに立つ。この所
飯場村より一里、三瀬よりは一里に近し。」と記されています。文化15年は4月に仁孝
天皇即位のため改元し、=文政元年です。現在の三瀬峠は杖立峠と呼ばれて
いたことがわかります。
飯場村と肥前国境の小名(小字)4ヶ所のうち、杖立嶺以外の残り3ヶ所は、「十
ヵ谷本編にナカ谷に作は假字の誤りなり。平口谷 毛鳥等なり。」となっています。当ホ
ームページの国境の小名欄も、本編(續風土記)を写したものですから「ナカ
谷」と記しています。
怡土郡絵図の該当を見ますと、確かにこれはナカ谷と読み間違えるのは無理
もありません。拾遺作成のために再取材した結果「十ヵ谷」だったのでしょう。 |
サイズ
|
筑前 高さ 240×横 45×奥行き 45(cm)
肥前 高さ 240×横 45.5×奥行き 45.5(cm)
現在は全く同じ高さですが、この両石は道路拡張のために少し移設されていま
す。元々同じ高さであったかはわかりません。 |