長崎市の西部、三重町・樫山町から旧外海町にかけては、大村領と佐賀領(深堀領)が入り乱れています。普通は村単位等で領(藩)が分かれていくものですが、ここは海岸から山に向けて縦に数十メートルおきに大村領と佐賀領が交互にモザイクのように入っています。
地元のM先生に勝手に弟子入りしてこの地区の領境石について教えていただきました。M先生は教員を退官された後、地元(出津)の隠れキリシタンの研究をされていらっしゃいますが、支配者(藩)の違いによるキリシタンの弾圧の温度差の観点から領境に興味を持たれて調べられています。「この複雑な支配関係もキリシタンが生き延びられた一因だろう。」とおっしゃっていました。
尚、領地が交互に入っていったことについてM先生は「新田開発を競い合った結果だろう。」とおっしゃっていらっしゃいます。
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