元年実測図には柏原の字として、柏原古野・中嶋・三十田・水谷の記載があります。古野は南区柏原1丁目10前に古野バス停として名を留めてい
ます。
中嶋は柏原1丁目52と同4丁目22の境に掛る橋に、中 島橋として名が残っています。同地図の柏原(=本村)と書かれた文字の下にある卍が照安
寺(柏原4丁目16)で、本村の南には埴安神社(柏原4丁目20)の鳥居マークも見えます。古野(1丁目)と柏原(本村/4丁目)の間に中嶋(中島)
があるのは 元年実測図の位置関係と一致します。
中島橋 三拾田橋
三十田は、 駄ヶ原上池・ 下池や萩ノ原峠へ至る道から、花畑園芸公園から柏原7丁目に下って来た樋井川沿いと見当をつけて探しましたが、実際は
もう少し下流の、柏原6丁目7と同11の間に掛かる橋にその名を残していました。欄干のプレートには「さんじゅうだ」と刻まれています。
水谷も三十田の東ですので同じく柏原6丁目でしょうか、明治の小字略図にはその字はなく、一帯は区画整理されていることから、痕跡を見つけられ
ていません。
元年実測図には記載はありませんが、柏原6丁目15に柏原ゴソ公園という不思議な名前の公園があります。このような不思議な名の場合はたいが
い字名なのですが、明治の樋井川村の小字図を見ると、確かに該当の地域(三拾田の東)に「ゴソ」の字が見えます。

柏原はこの他にも、拾遺の記載(産神以外の祠や白石<花崗岩>が採れること)や、明治の小字図の地名がよく残っているのですが、それはまた
機会をあらためて。
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