是より東石が現存しているということは、是より西石も建っていたはずですが、東海道上では林村の東隣りの伊勢落村(栗東市伊勢落)は、359石のうち333石とほぼ膳所領域、その東の甲賀郡石部村(湖南市石部)も2,053石のうち1,750石が膳所領域です。
さらに東の柑子袋村(湖南市柑子袋)は全域が淀領となりますので、是より西膳所領石が建つとすれば、石部と柑子袋の境(もしくは石部村内膳所領と公料の境)になりますでしょうか。
(※)膳所の文字ですが、現地で「膳」はにくづき偏からすぐに読めたのですが、これを「所」と読めるのか、文字を指でなぞってみましたが、私はこの漢字を知りませんでした。
一応見たまま とメモを取りました。栗東市岡に、「従是西膳所領」石のレプリカがあるとのことで、東海道を一里ちょっとでしょうか、ぷらぷら歩いて見に行きましたが、
レプリカの分文字が鮮明で、やはり私がメモした通りの文字のようです。 帰宅後にグリフウィキで調べると、
「所」の異字体(筆記体)として の掲載があります。この文字(の系列)のようです。
現在レプリカ石があるこちらの膳所領は、東海道上では栗太郡岡村(栗東市岡)のみが該当し、東海道上岡村の東隣りの同郡西目川村(栗東市目川)は三上領(旧高旧領取調帳データベースでは、廃藩置県時なので吉見領)になります。ここに領境石が建っていたという記録を私は目にしていませんが、わざわざレプリカを作ってあるということは、是より西膳所領境石が東海道上 岡と西目川の境に建っていたのでしょう。
岡村の西(北西)隣りは、同郡大路井村(おちのい/栗東市大路)かと思ったのですが、現代地図を見ますと県道116号(東海道)上 岡と大路3丁目の間に、小柿10丁目が存在しています。小柿は公料(大津代官領)及び淀領になりますので、東海道上岡と小柿が領境となり、是より東(すみません、なぜか西としていました。訂正します)膳所領境石が建っていたのでしょうか。
2023/02/01 追記
私は膳所領境石を、林の1基と、岡のレプリカの計2基しか知りませんが、近江国滋賀郡膳所(大津市膳所)を本拠とする膳所藩は、別保村(大津市別保)から膳所城下を経て西ノ庄村(同市西ノ庄)や草津(草津市草津)など、他にも街道上に領地を持っていましたので、街道上の各領境には領境石が建っていた可能性があります。
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