石見国

津和野領境石

 石見国津和野領亀井家43.000石の領境石です。門林(対長門国)・星坂(対周防国)の各境は国境となりますが、領境石の形をとっています。津和野境石の特徴は、裏面のくぼみでしょう。

 この対毛利家の2基の領境石以外にも、もう数基あるそうですので、そのうち探しに行きます。(現在は、扇ヶ原関門一基を追加しています。)

星坂   門林
 

門林
文 字
 従 是 北 津 和 野 領
  
場 所

長門国との境、門林(長州側地名では野坂口)に建っていたものとされています。現在は津和野町郷土館の前庭に建っています。国境に建つ実質国境石の領境石。
備 考

明治以降、橋の欄干として再利用されていたそうです。

サイズ゙
高さ 187×横 21×奥行 19(cm)

星坂
文 字
 従 是 西 津 和 野 領 
 
場 所

周防国との境、津和野街道星坂に建っていたものを、水源公園(吉賀町)に移設してあります。国境に建つ実質国境石の領境石。

備 考

吉賀町と錦町(現山口県岩国市)の境にはもう1本国道187号線があり、こちらの峠はその名も傍示ヶ峠です。
傍示ヶ峠には昭和期の県界標が建っています。(山口県側は表面だけが石で大部分はコンクリート)

島根県   山口県

しかし、傍示ヶ峠との地名が残っており、しかも昭和14年(島根側裏銘)の県界標にわざわざ「石見国」・「周防国」と彫りつけてあるところを見ると、ここにも領(国)境石もしくは領(国)境札が建っていたのでしょう。
サイズ゙
高さ 167×横 21.5×奥行 20(cm)

扇原関門
文 字
 従 是 南 津 和 野 領
 
場 所
益田市多田の石州街道 扇原関門跡に、次(下)の濱田領境石と並んであります。扇原関門は浜田領側の史料に出てくる地名ですが、津和野領側もそう呼んでいたのかはわかりません。
 


備 考
この石の存在は2008年7月に、津和野町郷土館の津和野領境石を見に行った折に、郷土館の方から「見たことはないが、多田温泉にも津和野領境石が一基あるらしい。」と情報をいただきました。その時にインターネットで少し検索してはみたのですが、全く情報がなく、いつか行こうと思いながら6年以上の月日が経ってしまいました。

今回島根を旅する機会があり、検索してみたところ、インターネット上に結構情報があってびっくりしました。たぶん、扇原関門跡が整備されたことによるものでしょう。益田の歴史を調べてある方のブログによりますと、この両石は、もともと別個に民家で保存されていた物を、整備に合わせて移設したもののようです。



津和野領境石の裏には現代の境界標が埋設してあり、現在も何らかの境(公道と市有地の境等)として現役のようですが、これはまあ、整備移設の際に、少しでも元位置のイメージに近くにということでしょう。

門林(津和野町郷土館)と星坂の津和野領坂石は、よく似た特徴ある筆跡ですが、この石は草書で書かれており、趣が違っています。といっても、(「ヘタウマ」というのはあまりにも失礼でしょうが)なんとなくイメージが通ずるところがあるように思えるのは、御家流なのでしょうか?
サイズ゙
高さ 166×横 24×奥行 22.5(cm)                      2014/10/13

上黒谷
文 字
上部欠損) 野(らしき文字の一部) 領
 
場 所

上下2つに割れており、下の部分は現在、島根県益田市上黒谷の桂正寺にあります。

石見国美濃郡上黒谷村(島根県益田市上黒谷町)は長門国阿武郡下小川(山口県萩市下小川)との国境の村です。長門国側の正保の国絵図では、境口の地名が黒谷口(現在の島根・山口県道14号が相当か)となっています。この石の上半分は「従是東津和」ですから、その黒谷口に建てられていた実質国境石の領境石でしょう。

備 考

この上半分は上黒谷の民家にあると聞いて探しましたが、雨の連休中ということもあり、あまり人に出会えず見つかりませんでした。中島町の浜田領境石でも書きましたが、予定外に島根まで足を延ばしましたが、きちんと下調べをしておかないと無駄足を踏んでしまいます。

最下部を見ると、地中部は粗削り加工ではなく、基礎の石枠にはめ込み式になっています。日向 高鍋領の境石がこのタイプでした。

中島(浜田領境石)・上黒谷はきちんと再取材をしてから公開しようと思っていましたが、コロナ禍で2年県外取材に行けておらず、ストックが枯渇してしまいました。この2基は仮公開とします。

サイズ゙
高さ 39(35.5)×横 16×奥行 16(cm)                              2021/10/01


浜田領境石

扇原関門
文 字
三面に) 従 是 北 濱 田 領 
 
左・正面                                 右・裏
場 所
扇原関門は、幕末四境戦争時に、石州口の戦いの火ぶたが切られたところだそうです。

 

備 考
この石の高さを下で184cmとしていますが、傾斜地に建っており、本来地中にあるべき粗加工部分が一部露呈しています。この6.5cmを引くと、本来の高さは175.5cm程となるようです。



サイズ゙
高さ 184(現在の正面側露呈部の全長)×横 22×奥行 20.5(cm)         2014/10/13

嘉久志(土床坂)
文 字
三面に) 従 是 西  田 領 
 
左/正面                                       正面/右
場 所

石見国那賀郡嘉久志村(浜田領/江津市嘉久志)と同郡江田(ごうだ/郷田)村(公領/同市江津)の境、土床坂に下りる手前。

備 考

江田(郷田)村は、北前船の寄港や石見の集積港であり、重要港だったため公領でした。その西隣の嘉久志村は浜田領になります。土床(つっどこ)坂の境界石という名前で呼ばれているようですが、土床坂は公領江田村に属し、その坂を登りきったところが領境(村境)となります。嘉久志の領境石というべきでしょう。



土床坂といいながら石畳なのは、土でぬかるんで歩きにくかったから石畳にしましたよという、歴史を語る地名なんでしょう。
サイズ゙
高さ 165×横 19×奥行 19(cm)

三坂峠(市木)
文 字
三面に) 従 是 西  田 領 
 
    左                                    正面/右
場 所

安芸国三坂峠の国境石と並んで建っていたと言われるもの。現在は邑南町市木の浄泉寺境内に建つ。

備 考

この石に大きな疑問があります。三面彫りは浜田領境石の特徴ですが、この石は三面とも文字を書いた人が違うと思われます。他の浜田領境石にそんな例を知りません。

銘のない面を仮に裏としますと、左面は行書で書いてあり筆跡の違いがわかりやすいのですが、正面と右の文字を例えば「西」で比べると、


正面/右

正面の「西」はこの活字通りに、4画目・五画目が「八」なっています。一方右面の「西」は、四画目・五画目が広がらずにまっすぐな縦棒になっています。これは癖なので、例えば半年・一年後に書けば癖が変わっていることもあるでしょうが、初めから三面彫りがスタンダードな浜田領境石で、お家(藩)の公式な標識に文字を入れるほどの人が同時期に書いたのであれば、ありえないことだと思います。(「西」がわかりやすいので例にとりましたが、「従」の「ソ」なども癖が違います。右面の文字がより右上がりの癖があるようです。)

どうしてこの石だけが3人が銘を入れるなんてことになったのでしょう? 一つ考えられることは、この石はモニュメントで、後の時代になって境石が建っていた記憶に基づいて作られた可能性ですが、モニュメントをわざわざ6km(現在の道なり)も離れた寺に保存するのでしょうか。

当初は一面彫りだったものを、他の浜田領境石と合わせるために、三面彫りにした可能性もあるのかもしれませんが、それならばわざわざ左右で書く人を違える必要はないような気もします。またこの石だけが他の浜田領境石と違い、当初は一面彫りだった理由を説明出来ません。(村仕事ならば藩の仕様と違う一面彫りで作った可能性もありますが、それにしては他の浜田領境石に見劣りしない立派なものです。ちなみにサイズは嘉久志の浜田領境石と同じ。)

愛媛県西予市の卯之町境石は3基が作られ、同じ人がそれぞれ楷書・行書・草書で3本の銘文を書き分けています。そのような例もないわけではありませんが、この石の場合は左面は行書ですが、正面・右はどちらも楷書でかつ筆跡が違います。

私は今のところ、これがどうしてなのかを、レプリカなのかも含めて説明できません。

サイズ゙
高さ 165×横 19×奥行 19(cm)

中島
文 字
 従 是 東 濱 (以下不明
 
場 所

石見国美濃郡中島(なかのしま)村(浜田領/益田市中島町)は高津川を境とし、高津川の東岸が中島、西岸は同郡高津村(津和野領/同市高津)になります。現在は中島町の民家の庭先にあります。

備 考

平成最後の10連休を利用して、山口〜広島に取材に出かけたのですが、予想以上に順調に行ったので、急きょ島根に回りました。詳しい情報がないまま中島町のそれらしきお宅の庭を見ながら歩きましたが、すぐに見つかりました。

ただ、残念ながら大型連休中のため先方もご不在で、塀の外から写真を撮らせていただきました。浜田領境石と聞いていますので、三面彫りのはずですが、私の見える範囲では一面の上半分しか文字を読めていません。しかし、「近世以前の土木・産業遺産」にちょうど逆から写した画像があり、三面彫りであることは間違いないようです。

※中島・上黒谷(津和野領境石)はきちんと再取材をして公開しようと思っていましたが、コロナ禍で2年取材に行けておらず、ストックが枯渇してしまいました。この2基は仮公開とします。

サイズ゙
高さ ×横 ×奥行 (cm) 未計測                                     2021/10/01


江田村境石
文 字
表) 江 田 村 
裏)  文 化 十 二 亥
        八 月 吉 日
 
場 所

江田(ごうだ/郷田)村は現在の江津(江津市江津)を指すようで、嘉久志の浜田領境石で触れたように公領です。元々はどこに建っていたのかわかりませんが、現在は土床坂を登りきった嘉久志との境に、濱田領境石と道を挟んで建っています。

備 考

粗削り加工部を除いた境石としての本来の高さは38cm。

サイズ゙
高さ 87(38)×横 22×奥行 21(cm) 

トップへ
トップへ
戻る
戻る