国境・領境・郡境・村境を問わずほとんどの境石で『是』の文字が使われています。しかし、まれに『此』の文字が使われている場合があります。
『従是』を使い例えば「従是西筑前國」(これより西筑前国)の場合、便宜上その石自体が国(領・郡・村等)境であることを指しています。もちろん境が川や道の場合、川の流れの中や道の真中に境石は建てられませんから、少しずれた川岸や道の傍に境石があることになりますが。
(現在の都府県境や市町村境の標識も橋の真中ではなくて、橋を渡りきった自領側の土手に建っている場合が多いですね。)
一方、『此』の文字が使われる場合は、「従此川」(このかわより)や「従此道」(このみちより)等、境石自体ではなく明確に目の前にある「川」や「道」が境であることを指定しています。

從此川中央東北福岡領(前原市荻浦) 従此川中西臼杵領(大分市光吉:)

此道より東福岡領(前原市高野) 此三領境東西峯尾続雨水分・・・領(波佐見町村木郷峠)
(波佐見の三領境石の此の使われ方は他の3基とはまた違います)
こうして集めてみますと『此』を使った石は「国境」にはなく「領境」にのみ使われていることがわかります。これは、一つは 『領』と『國』の頁でも書いた通り国境石には一定の書式があったのでしょう。
また国境はある程度昔から確定しており(道・川・尾根・谷等)、実際の国境の近くに便宜的に「従是」(これより)の国境石を建てておけばよかったのでしょうが、領境の場合小さな村と村の境が領境になったり、時には一つの村が2つ3つの領(藩)に分かれていることさえあります。さらに、廃絶・転封等である日突然隣が変わってしまうこともあります。時には隣り合った大名同士が同時に移ってしまうこともあります。
もちろん大名は家ごとに石高が違います。加増にせよ減封にせよ新しく入った大名がそこにある石高にぴったり合う事の方が少なく、削ったり・付け加えたり・飛び地を加えたり、そのたびに領境を変更させなければなりませんでした。
そういう意味で領境がどこであるかを細かく指定しておく必要があったのかもしれません。
特殊な例
上で国境石では「従是」が使われると書いていますので、それ以外の文字が使われる特殊な例を下に紹介しておきます。
実質国境石ながら特殊な銘文の石

「三国境石」 「肥前嶋境石」

「此石垣相障申間敷事 筑前國五箇山村」
|